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by S.K.

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AU REVOIR, LES ENFANTS

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AU REVOIR, LES ENFANTS (オルヴォワール, ル ザンファン)は、ルイ・マルの映画『さよなら子供たち』の原題(仏語)である。”AU REVOIR ”というフランス語の響きが好きなのだが、日本語の「さようなら(また会う日まで)」を意味するこの言葉は、日本語のニュアンスに近く、もう当分会わないときに使われる言葉であり、映画では、2度と会うことのない別れ(死別)を表現する言葉として使われた。

前回紹介したレーモン・クノーの『文体練習』の翻訳者の一人、松島征氏は、この映画のシナリオ(仏語)とその解説(日本語)が付属されているフランス語テキストを出版されていたので、早速手に入れてみた。最小限の解説ではあるが、この映画を深く理解できるようなコラム記事も付属していて、この映画の時代、1940年代のフランスの理解に役立つ。

この映画には、わたしの好きな女優イレーヌ・ジャコブが音楽の先生として出演している。彼女はこの映画をみたキェシロフスキに見初められて、映画『ふたりのヴェロニカ』の主演に抜擢された。彼女にとって重要な映画でもある。第二次大戦下のカトリック系寄宿舎におけるユダヤ人の少年と、友情を育むことになる少年との出会いと別れを表現した名作であるが、松島氏は、フランス文学の研究者として、映画の中で歌われる民謡やヴィシー政府、登場するドイツ人の台詞の分析など、映画を漠然とみていたのでは、気がつかない多くのポイントを解説してくれている。

さらに、映画の中で子供たちが話す俗語の解説も含まれている。こうした表現は、学習辞典にもフランス語の教本にももちろん載ってはいない。これらは、活きたフランス語を学ぶことに役にたつ。

名画、名作と言われる映画は、松島氏の解説からもわかるように、想像以上に奥深いのである。映画は娯楽の一つではあるが、人をみる、人を選ぶ娯楽といってよいかもしれない。
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by kurarc | 2016-06-30 21:39 | France

大学時代の講義から

わたしの母校(大学)は、大学の偏差値といったものでは、あまり高くなく、いわゆる優秀な学生があつまるような場所ではなかったが、当時、その大学では革新的な教師たちが、ラディカルな授業を行っていた。多木浩二先生の授業はその最たるものだが、いまでは顧みられなくなってしまった多木先生の講義内容をもう一度、学習しなおしたいと思うようになった。

レーモン・クノーの『文体練習』には、訳者である松島征氏の『紙の上のパロディー群-レーモン・クノー『文体練習』を読む』が所収されていて、この文章が1977年に発表されていることを知ると、ちょうど多木先生がこのような研究成果と同時代性をもつ講義を行っていた時とも重なることがわかる。わたしは随分と時間がかかったが、多木先生の講義の内容の意義(もちろん、学生当時も感じていたが)をやっと卒業して30年もたってから、自らの力で知り、発見できるようになった。

その下地は、やはりフランス人による知的探求の力(ロラン・バルトなど)によることが大きい。20世紀は、彼らの時代であったのである。そこにもう一度立ち返り、それらを軽々と学び直して、今後の羅針盤とすることにしなければと思う。

クノーの『文体練習』という本は、とるに足りない内容の文章を99の文体に変換したいわばパロディーとも言える試みであるが、その中にはアレクサンドラン(以前、映画『ロシュフォールの恋人たち』について書いた文章でふれた)といったヨーロッパの詩の伝統的形式を使う試みもあり、言語の形式についての挑戦といえる内容となっている。(訳者はこの翻訳を七五調で訳している)こうしたパロディとみえるような本も実は最も革新的な認識にもとづいて行われている訳で、クノーのような柔らかい知性の持ち主でしかできなかった試みなのだ。多木先生の講義は難解を極めたが、クノーのような事例を紹介してくれたら、我々の理解はもう少し深まったのではないかと予想されるが、それは甘えだと先生から激怒されたかもしれない。

フランス人の知的探求に興味をもち、ここに帰ってきたのは、わたしにとっては根のあることだったのである。
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by kurarc | 2016-06-29 09:38 | books

フランス的なるもの

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シュルレアリスム、映画、文学、音楽、語学等、このところフランスの文化と縁を切れない生活が続いている。自分では、そんなに意識している訳ではないのだが、興味のあるものがフランスとなぜか結びついてしまう。自分の中にフランス文化に対する興味が気がつかないうちに蓄積されていたのだと思う。

多分それは、初めての海外旅行のときに遡る。このブログでも以前に書いたが、初めてフランスを旅したときの印象がはなはだよかったのである。パリは異なる季節に訪ねたこともあり、その光景の変化に心が奪われた。南フランスでは、移民とみられる人々に親切にしてもらったこともある。2度目のパリでは、モンパルナスタワーに勤務するフランステレコムのサラリーマンと列車の中で親しくなり(会話は英語で行った)、名刺を渡され、是非訪ねてくるようにと言われ、別れた。(モンパルナスタワーへは行かなかった。かれは、わたしが、ル・コルビュジェの建築に詳しかったことに感激してくれたようだった。)

大学時代、いわゆる「現代思想」と言われるものがもてはやされたが、その中心はフランスの哲学者であったし、ベンヤミンの論考にも、パリのパサージュを主題にした『パサージュ論』があり、フランスを知ることは、必須であったこともある。最近は、特に映画に触発されている。映画から文学へ、そして、フランス語を理解できるようにしようという方向へ進んでいった。

最近、レーモン・クノー(映画『地下鉄のザジ』の原作者)の『文体練習』を図書館から借りてきたが、こうした書物のもつフランスのエスプリや、頭の中の固定観念を転倒させてくれる多くの作品や仕事に巡り会えることが、フランスにひきつけられる最大の理由のような気がする。そして、そうした体験が気軽にできる下地が日本にはすでに存在している、ということ。つまり、フランス文化との付き合いがいまや成熟してきたということの証しなのだと思う。

批評的精神を忘れず、頭の中を明晰にしてくれるような「フランス的なるもの」に当分、お世話になりそうである。
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by kurarc | 2016-06-27 21:09 | France

市ヶ谷、神楽坂からイザベル・ユペールへ

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6月25日は長い一日であった。JIA千代田地域会と新宿地域会、法政大エコ地域デザイン研究センター合同による催し、外濠をめぐる凸凹探検街歩きに参加。市ヶ谷、飯田橋周辺を外濠と内濠の両方から歩き、その街の成立条件の違いを把握するもの。現在の新宿区(外濠)と千代田区(内濠)との都市の様相の違いを意識できた貴重な街歩きであった。神楽坂では、東京理科大学神楽坂地域デザインラボに立ち寄り、学生たちの神楽坂周辺の課題の成果を見学。久しぶりに学生らの課題に接し、刺激を受けてきた。

その後、夕方からアテネフランセへ。特別ゲストとして、わたしが現在、最も注目する女優であるイザベル・ユペールがゲスト出演した映画講座に参加。講座の途中で、有楽町で開催されているフランス映画祭へ移動。映画『アスファルト』(上写真)をみる。こちらでも、イザベル・ユペールの舞台挨拶があり、映画がはじまった。

映画『アスファルト』は、フランスの郊外の団地を舞台とした映画であり、予想外にユーモラスな楽しい映画であった。映画終了後、会場からは拍手が。この拍手は、この映画に満足できたという証しであったと思う。フランス人によるユーモア(エスプリではない)は、世代の垣根を越えて理解されたと言うことだと思う。久しぶりに映画館で笑えた映画であり、秀作であった。

家に帰ったのは、深夜12時。長い一日であった。

*家に帰ると、ポストの中には、映画『ローラ』が。フランス映画から当分離れられそうにない。
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by kurarc | 2016-06-26 00:34 | cinema

音楽としてのフランス語

フランス語の授業をすでに12時間程度受けている。授業といっても、個人の先生に月2回、1回1時間、カフェでレッスンを受けているだけである。まだ、文法らしい授業というものはないが、ある程度、フランス語の骨格のようなものは見え始めた。文法は、他のロマンス諸語とよく似ていることもあり、その概要は予想ができるのだが(ポルトガル語の文法を学んでいるため)、細部においては微妙に異なるはずであるから、わかっているつもりになることは禁物である。

およそ12時間という授業の中で、わたしの先生が非常に厳しいのは発音である。ポルトガル語をやったおかげで、ポルトガル語の発音になってしまうと、厳しく注意される。フランス語は、母音が連続することを嫌う言語であり、また、その母音をシャープに発音することを求められる。そうした好みから、リエゾンやアンシェヌマンといった読み方が発達することになるのだろう。一つの単語の音は自立せず、言葉と言葉との関係によってその言葉の音が変化していくから、慣れるまでには時間がかかる。

この音に対する繊細な感覚はどこからくるのか、わたしにはわからないが、こうした言語を話すフランス人は、言葉だけでなく、音楽のような音の感覚に影響を与えているのではないかと予想される。もたついた発音を嫌うので、日本語やイタリア語のような重い発音に慣れているものにとってはやっかいなのだ。特に「e」の発音には注意を要する。「e」は、「エ」と条件反射してしまうので、その習慣からぬけださなくてはならない。

音にこれだけ注意することが求められるせいか、いつのまにか、これは音楽を学んでいるのではないか、といった幻想が頭の中をよぎることがある。リエゾンは音楽で言うタイやスラーのように思えてくるのである。ポルトガル語の響きも美しいが、それとはまた別の美しさがフランス語には存在する。フランス語を音楽として学習するということは、今のところ、大きく間違った考えではないような気がするのである。
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by kurarc | 2016-06-24 22:25 | France

吉田鉄郎設計 東京中央郵便局の1階階高について

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東京駅が復原され、東京駅の丸の内口の建築群が整備されるにつけ、部分的に保存活用されるように到った吉田鉄郎設計の東京中央郵便局の建築がこの駅前において光り輝いている。

わたしにとっては復原された東京駅よりも、その向かいに建つ吉田の白いモダニズム建築の方に目がいってしまう。この「何気ない建築」の特異性が、東京駅復原によって、あるいは、周辺の建築が整備されるにつけ、逆照射されているのである。

その特異性を正確につかむことが必要であろうと、この建築について再度、詳しく調べたいと思っている。ブルーノ・タウトがこの建築を評価したのは、タウトがこの建築に日本の近代建築をみたことにもよるが、タウトはもしかしたら吉田の建築に「都市の建築」を直感したからではなかったか?

その一つのヒントが、この建築の1階階高である。戦前、1930年代の建築にこれだけの高い階高を設定した吉田の思考はいかなる理由からだったのだろうか、と思うのである。そして、その階高のおかげで、全く遜色なく現代の建築に溶け込むことになったのだから。吉田はきっと、現在のように佇む建築の姿を達観していたのかもしれない。

もちろん、これだけではない。この建築の特異性をいまだに誰も気づいていないのかもしれないのである。
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by kurarc | 2016-06-21 00:08 | architects

fragment2016/06/19 アンジェイ・ヤキモフスキの世界

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*EU Film Days 2016にて、ポーランド映画監督、「アンジェイ・ヤキモフスキの世界」と題した講演会を聴講。(ヤキモフスキによる講演会)

*映画『地下水道』(ワイダ)と『エロイカ』(ムンク)の比較。『エロイカ』はポーランドのような小国でしかつくることができない映画。悲劇と喜劇(悲喜劇)の共存。人間をムンクの映画のようにみる見方に共感。

*影響を受けた映画① ヒッチコック『鳥』は、母親と息子、そして息子の元恋人、現在の恋人らの関係性の心理映画。その心理の表現、「女性の嫉妬心」を「鳥」によって表現。

*影響を受けた映画② 『砂の女』 「砂」によって心理を表現
『目をほそめてみろ』(ヤキモフスキ)の「火」の使用に影響。

*『トリック』(ヤキモフスキ)では、目に見えない力、この映画では「重力」が重要な要素の一つに使われる。

*『イマジン』では、視覚障害者を登場させながら、より「目に見えないものをみること」についての表現を深めていく。ものをみるのには、「目は必要ではない。肝心なのは想像力(イマジン)であること」を表現。想像することの勇気を表現する。

*ヤキモフスキ監督は、『イマジン』を製作する15年ほど前(わたしがリスボンに滞在していた頃と重なる)、舞台となったリスボンのカフェを訪れる。このときに、目に見えないものを表現することのインスピレーションを得る。
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by kurarc | 2016-06-19 22:39 | fragment

珈琲コクテール堂 STRONG 

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久しぶりに丸ビル地下の明治屋に寄ってみた。タプナードがあれば購入しようと思っていたが、棚には並べられていなかった。日本で食べる習慣のある人は少ないのだろう。(そもそも、タプナードは買うものではなく、自らつくるべきものなのだが)

ここに立ち寄るもう一つの理由は、コクテール堂の珈琲を買うためでもある。こちらも購入するのは久しぶりになるが、今日は初めて缶入りのSTRONG(フレンチロースト 上)を購入する。

自宅に戻り、早速ペーパーフィルターでこの珈琲を味わった。透明感のある珈琲で、フレンチローストの苦みが口の中に余韻を残す。自宅で味わう珈琲としては申し分のない味である。

このブログでいくつか珈琲を紹介したが、市販品のなかでは、コクテール堂の珈琲が一歩抜きん出ているように思う。お薦めである。
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by kurarc | 2016-06-17 21:07 | gastronomy

soupe en 2016

1週間に一度、スープを相変わらずつくり続けている。2016年になり、材料はほとんど変わらないが、大豆の調理方法が変わった。当初、大豆は別に茹でて加えていたが、手間がかかるため、以下の調理方法とした。これで、すべて一つの鍋で調理できることになった。

以下は、今年2016年の材料である。

タマネギ  中2ヶ
キャベツ  1/4ヶ〜1/2ヶ
セロリ   1本(葉もすべて使用)
ズッキーニ 1本
大根    1/3本(葉もすべて入れる)
パプリカ  赤及び黄色 各1ヶ
ニンジン  1本
長ネギ   2本
しめじ   1パック
ベーコン   120g
シラス   100g程度
大豆    秘伝豆 200g程度(あるいは黒大豆、赤大豆など)
塩     小サジ 大もりで2(ゲランドの塩)
黒胡椒   適量
エルブ・ド・プロヴァンス 大さじ1〜2程度
オリーブオイル 大さじ2〜3程度
お湯    適量

2016年から変わったことは、つくりはじめである。まず、オリーブオイルを入れた鍋にベーコンを炒め、その後、シラス、一晩水に戻した大豆をそのまま一緒に入れて炒めてしまう。3分程度炒めて、各野菜を茹でにくいものから順に入れて、10分程度炒める。その後、お湯を足して沸騰させ、塩、コショーをしてからそのまま一晩余熱で煮る。こうすると大豆もきれいに煮え、完成度の高いスープが出来上がる。このスープがわたしのみそ汁の替わりであり、常備菜を兼ねる。

*灰汁は、塩、胡椒を入れる前に軽くとる程度。

*オプションとして、たまに、もみ海苔などを入れて、海苔のスープにする。

*このスープ+ヨーグルトで、腸内環境は良好な状態を維持できる。
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by kurarc | 2016-06-16 23:00

fragment2016/06/15 同潤会と木造建築

*関東大震災以後、大正13年5月に内務省によって設立された財団法人同潤会の出発点は、木造建築であったということ。

*木造仮住宅(現在の仮設住宅といってよい)、あるいは、同潤会賃貸普通住宅と呼ばれる木造建築が最初期の仕事。

*われわれが同潤会といったときにイメージする鉄筋コンクリート造のアパートメントハウスとは、上記の木造住宅以後、第3期目の事業。供給の対象は、中流階層向け。

*同潤会最後の事業も、木造住宅となる。それは、職工向け(軍需産業従事者)の木造分譲住宅。昭和9年から15年8月まで1100戸以上が建設される。

*同潤会の政策には一貫性はない。アパートメントハウス建設時には、周辺との関係性やコミュニティが重要視され、最後の木造に至り、「独立住宅主義」へと路線が変更された。

*同潤会の最初期の木造と最後期の木造建築の平面計画ほか、差異について考えてみる。

        マルク・プルディエ著 『同潤会アパート原景 日本建築史における役割』より
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by kurarc | 2016-06-15 10:46 | fragment


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