Archiscape


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by S.K.
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福生市役所見学

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今日は午前中に福生市役所を見学。以前勤務していた建築設計事務所が設計監理を手がけた建築である。三鷹市庁舎建て替えのワークショップに参加することになったため、最近建設された新しい市役所の学習も兼ねての見学である。

結論から言うと、福生市役所は、スケール観がよいこと、市役所としての権威の誇示などは感じられず、好感がもてた一方、様々な点において疑問をもったことも事実である。

まずは、人工地盤のつくりかた。芝生を植えることはよいが、傾斜をつけることにどれだけの意味があるのか?市役所は非常時に市民が集まるような機能を考えると、安易に傾斜をつけるよりも、集まったときに、機能的な広場にできることを優先すべきではないか?また、人工地盤へ上るのは階段のみであり、スロープがない。車椅子利用者は、一度建物の中のエレベーターを利用して、この人工地盤に上ることになる。(つまり、休日には人工地盤に登れない)スロープを排除したのはなぜか?etc.

屋外階段の収まりに欠陥があり、見苦しかった。これは設計事務所の詰めの甘さが露呈していた。市役所としての魅力はあるが、大くの疑問が残る建築であった。

三鷹市は今後どのような市役所を模索していくことになるか?建築家は予定調和的に広場を計画したり、ホールを計画するが、市民に喜ばれない、または、市民が活用しようとしない広場をつくっても意味がない。そのような広場であればない方がましである。広場を計画するのであれば、ロマン主義に偏らず、確実に市民に利用されるような仕掛けを用意しなくてはならない。21世紀、ポスト3.11の現在、市役所(市庁舎)は、徹底的に市民の活用をシミュレーションした上で計画すべきである。

*開口部の内側には手動のアルミルーバーが設置されている。手の届くところは開閉が容易だが、吹き抜け状の箇所はどのように操作しているかよくわからなかった。

*芝生、床タイルとツラ(同一面状)に収められたトップライトには、「ガラスの上に乗らないでください」の注意書きがあった。強度上は問題ないと思われるが、万が一のためにという注意書きだと思う。このように書かれることは予想できたはずなのだから、トップライトの収まりを地面とツラで収めるのは問題がある。

*今日は初夏のような天気。このようなよい天気の日に、人工地盤上の広場には誰もいない。多分、休日も同様だろう。この広場は一体なんのためにあるのだろう?
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by kurarc | 2018-04-19 16:26 | architects

ヴィットリオ・タヴィアーニ 逝く

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映画監督タヴィアーニ兄弟の兄、ヴィットリオ・タヴィアーニが去る15日に亡くなられたという。ご冥福をお祈りしたい。

このブログでも彼らの映画『カオス・シチリア物語』について何度か書いてきた。1980年代の映画で、わたしの中でベスト10に入るすばらしい映画である。1980年代にタヴィアーニ兄弟やアンゲロプロス監督からわたしは映画の奥深さを知ったように思う。映画の楽しさを教えてくれたのもタヴィアーニ兄弟の映画があったからである。

わたしの手元には、タヴィアーニ兄弟傑作選DVD-BOXがある。『サン・ロレンツォの夜』、『父パドーレ、パドローネ』、そして『カオス・シチリア物語』の3枚のDVD-BOXである。こうした高価なDVD-BOXを購入したのは、ほかにビクトル・エリセ監督と侯孝賢監督だけである。つまり、わたしの宝物の一つといってよいDVDである。

彼らの映画は未公開や特別上映などのものが多く、日本でも上映は限られ、いまだに全貌をつかむことができない。困ったことに、DVDも非常に高値がついており、購入に躊躇してしまう。その中でもレンタルで観ることができる『グッドモーニング・バビロン』や『太陽は夜も輝く』がある。久しぶりに彼らの映画を観て、ヴィットリオ・タヴィアーニ監督への追悼としたい。

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by kurarc | 2018-04-17 23:03 | cinema

吹奏楽 夢の時間

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週一度のペースで、母校の小学校音楽室に集まり、吹奏楽を楽しんでいる。わたしが小学生の頃と音楽室の位置は変わっているが、校舎の外観や内観はほとんど変わっていない。

3月終わりには校舎内部からみえる桜(上写真)を楽しんだが、それは45年以上前に見た風景と同じ。少し記憶が薄れてはいるが、小学生の頃を思い出しながら音楽を楽しんでいる。

「夢の時間」と書いたのは、なにも音楽の演奏がすばらしい出来であるからではなく、わたしのような稚拙な演奏でありながら、音楽を楽しんでいる時間は、夢の中での出来事のように感じられるのである。それは多分、音楽が現実の苦悩を忘れさせてくれるからかもしれない。

とはいえ、音楽に打ち込むこともまた新たな苦悩、苦労のはじまりでもある。しかし、その苦労は現実とは異なり、創造的苦悩であるから、楽しめるのであろう。これがプロとなると金銭的苦悩が生じるのだから、音楽を楽しむことは二の次になってしまうこともあるだろう。

この夢の時間が今後とも続くことを願って、少しでも音楽が上達することを目指したい。

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by kurarc | 2018-04-14 21:04 | music

光について キャノンサイエンスラボ

先日、白黒写真を久しぶりに撮影し、現像したネガを友人のカメラマンの力を借りて、印画紙に焼き付けた。わたしには初めての経験で、大変興奮した。印画紙に自分の撮影した画像が現れる瞬間が特によい。それはたとえて言えば、無から有が現れるような経験である。

そうした経験から思ったのは、わたしはある物体(被写体)を撮影しているのだが、その物体に対する興味だけでなく、その物体を物体として認識させてくれている光に対する興味が改めてわいてきたということである。

光は最近では波動と粒子という二つの現象の綜合として把握されているようだが、目に見えないものであるだけに、われわれはそれを直感的に理解できない。光には可視光線のなかに色のスペクトルがあると言われても、われわれが目にするのは透明の光線だけであるから、虹をみるとか、プリズムのような装置が必要になる。

こうした光を学ぶのに適したHPを偶然みつけた。キャノンのサイエンスラボである。このラボは子供向けの編集もあり、大変わかりやすい。企業がこうしたHPを作成していることは、その企業の文化的成熟度を示している。

マニュアルカメラで今後どのような被写体を撮影するのか?わたしの目的ははっきりしてきた。それは、光をまず捉えることであり、そのための被写体ということである。光がまず優先される。光がみえるような被写体である。それは何か?それが見つかったならば、次の目標は、写真展を行えるくらいの作品を仕上げていくことである。

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by kurarc | 2018-04-11 12:48 | photo

イタリア人トランペット奏者 Paolo Fresu 『THINGS』

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イタリア人のトランペット奏者、Paolo Fresuの『3 Essential Albums』を購入。3枚ひと組で安価なのがよい。その中の1枚が特に気に入っている。『THINGS』というアルバムである。

「DEAR OLD STOCKHOLM」という曲からはじまるが、この曲から引きつけられてしまう。ピアノとトランペットというデュオアルバムだが、ピアノのURI CAINEがまたよい。

マイルズ・デイビスあり、ガーシュインあり、さらにモンテヴェルディあり、そして、Paolo Fresu+URI CAINEの曲ありと、実験的なアレンジが多いが、全体として落ち着いたアレンジであり、静かな夜に聴くのに適している。

Paolo Fresuのアドリブがずっと気に入っている。チャット・ベイカーをさらに洗練させたようなメロディアスなアドリブである。「歌う」アドリブと言ってよいかもしれない。彼の吹くフリューゲルホルンの音も気にいっている。現在、わたしの目標にすべきトランペット奏者。もちろん、わたしにとって雲の上の人だけれど。


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by kurarc | 2018-04-11 00:21 | trumpet

増田義郎著『コロンブス』 コロンブスの実像

増田義郎著『コロンブス』を一気に読了。1979年の著書であるが、これほど簡潔にコロンブスの本質をつかんだ書物は今まで読んだことはない。スペインやイベロ・アメリカ文化の碩学、増田先生の力量はやはり並大抵のものではない。

この著書で興味深いのは、たとえば、コロンブスの直筆で残されている言語がジェノヴァ生まれであるにもかかわらずスペイン語(それもポルトガル語に影響された)であることの謎をコロンブスの同時代の文化状況から読み解いていること。また、当時の地中海世界の中でコロンブスの活動を相対化し、ルネッサンス人としてのコロンブス像を的確にとらえていること。またコロンブスの航海の大きな動機が彼の終末観によるものであることetc.、コロンブスは特殊な人間ではなく、当時の世界像、価値観から当然現れた人物であることを見事に描き出していることである。

コロンブスはもともと、スペインから逃れたユダヤの家系の人間であることは常識となっているが、彼がスペインで活躍できたのはコンベルソ(ユダヤ教からキリスト教への改宗者)らの尽力によることが大きいということも、この著書で強調されている。

この著書を読んだものは、今までイメージとして描いていた月並みなコロンブス像を根本的に変えられるはずである。さらに、市民講座の内容をまとめたものであるだけに、日本語の文章も要点を簡潔に述べられており、大変読みやすい。

日本人によって著された最も明快なコロンブス像は、この著書が嚆矢であることは間違いないのと思われる。コロンブスに興味のあるもの必読の著書であろう。

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by kurarc | 2018-04-08 18:10 | books

映画『ラッキー』 無がある、ということ

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ハリー・ディーン・スタントン最後の映画『ラッキー』を観た。演じることを避けるという彼の演じ方は徹底されて、彼のドキュメンタリーをみているような錯覚にまで陥るような映画であった。

ランニングシャツとパンツ一枚の情けない姿をさらけ出し、なにも格好をつけることのない一人の老人の孤独をスタントンは演じていた。

そして、ラッキーは言う。「独り、aloneの語源は、all one(みんな一人)なんだ」と。
また、「そこにあるのは空。無あるのみ」と。

わたしはこの映画で、仏教哲学をユーモラスに学ぶことができた。そして、「無だけがある」ということがよく理解できたのである。

ハリー・ディーン・スタントンに、最後の映画でそのことを教えてくれてありがとうと言いたい。
 

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by kurarc | 2018-04-04 23:14 | cinema

本棚と本の背表紙

25年くらい前になるだろうか、自分でデザインした本棚を6ヶ、ずっと使い続けている。奥行き300mmのもの4ヶと220mmのもの2ヶ、幅800〜900mm、高さは1770~1800mmで、吉祥寺に住んでいたときの部屋に合わせてつくったものである。もちろん、これだけでは不足するから、床に置いたり、市販の本棚で補足している。

奥行きが300mmになぜしたのか、本棚は自立させなくてはならないから、ある程度の奥行きが必要になること、そのくらいの奥行きであれば、かなりの大型本が収納できることからである。220mmの方は文庫や新書、それに小説のような単行本を収納するためにつくったものである。

問題なのは、本が増えてくるにつれて、本を奥と手前に二重に重ねて収納するようになったことである。そうすると奥の背表紙が見えないため、その本が常に目につかない状態になるし、取り出すのにも一苦労することになった。

こうした不便さを考えると、本棚は自立式ではなく、壁に奥行きを自由に設定できるような金物をしつらえて、本棚をつくることが理想のように感じる。本を二重に収納して、後方の本の背表紙を見えないようにしてしまうのは、本運?が悪くなりそうな気がするのだ。少なくとも、本を大切に扱うような収納方法ではない。

こうした不便さをなくすためにも、本棚を作り得る様々な場所、たとえば、トイレ、洗面所、廊下etc.にしつらえるのも一つの方法かもしれない。最近、安価な文庫本専用本棚を購入し、文庫を重ねて収納することをやめてみた。そのせいか、本が活き活きと自己主張しはじめたかのように感じる。本は背表紙を隠すことのないように、なるべく重ねて置かないように工夫したいものである。

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by kurarc | 2018-04-02 22:26 | design


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