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you tubeで学ぶ音楽(ジャズ)理論

最近、you tubeをよく活用するようになった。you tubeで多くのことが学べるからである。特によいのは音楽。様々な演奏者の貴重な映像をみることができることと、若手のミュージシャン(著名なミュージシャンも)が音楽理論、演奏法などの講義を行ってくれているので、いわば、大学の講義を聴講するように、音楽を学ぶことができるのがよい。

わたしは20歳の頃、ジャズ理論を学んだが、よく理解できなかった。特に、最初のダイアトニックコードやダイヤトニックスケールすら理解できなかった。まだ、感覚的に理解できればよかったのだろうが、それすらできなかった。なぜ3度づつ音を積み重ねるのかがわからなかったのである。

先日の日曜日、宇田大志というジャズギタリストの音楽理論(ジャズ理論)講座をyou tubeで聴講。その5回にわたる講義を最後まで聴くと、やっとダイヤトニックコードやスケール、モード・スケール・・・etc.のことが理解できた。(補助テキストとして、宇田氏著の『3年後に確実にジャズ・ギターが弾ける練習法』を参照した)きっと、普段から吹奏楽に親しんでいることも大きかったのだろうが、頭と感覚の両方で理解できたのである。

つまり、あとは練習(実践)あるのみ、ということである。
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by kurarc | 2018-04-30 22:16 | music

井の頭公園のムサシノキスゲ

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毎年、この時期になると注意しているのが、ムサシノキスゲの開花である。

府中の浅間山の群生がわたしの住む近辺では知られているが、井の頭公園内にも一部、ムサシノキスゲ(写真上下)を鑑賞できるスポットがある。それは、小さな梅園のある斜面の続きにあり、ひっそりと咲いている。

今日、公園内を歩いたついでに確認してきた。多分、この2、3日で咲ききってしまいそうである。このムサシノキスゲは季節に敏感であり、一日花であるから見逃すと1年待つしかない。開花は貴重であり、初夏を告げる花と言えるだろう。

いつか、この井の頭公園の斜面がムサシノキスゲの群生で埋め尽くされることを願っているが、未だにこの花のことを知る市民は少数らしく、話題にはのぼらない。今度、公園関係者に会う機会があれば話題にしてみたいと思っている。
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by kurarc | 2018-04-29 14:22 | 武蔵野-Musashino

和紅茶の展開

先日、三鷹市民センター(市役所)に隣接するレストラン(さんさん館)で和紅茶を飲んだ。「和紅茶」という言葉は初めてだった(地紅茶、国産紅茶などの呼び方もあるという)ので、何なのか店員の方に聞くと、国産の紅茶だという。わたしが飲んだのは伊勢が産地であった。味は独特で、今までに飲んだことない香りと味であった。

今日、自動販売機でも「知覧にっぽん紅茶」を偶然見つけたので、試飲してみる。こちらも、今ままでのペットボトルで販売されている紅茶の中では最も香り高く、おいしい紅茶であった。

緑茶がコーヒーなどの飲み物のおかげで、日本国内ではあまり飲まれなくなり、その代わりとして、紅茶生産に転換した農家が多い、ということなのだろうか?ペットボトルでもこれだけおいしいのだから、きっと、今後、アッサムだのダージリンに匹敵するような紅茶が生産される(すでに生産されている?)に違いない。

問題は、コーヒーとどれだけの競争力があるのかどうかだ。「カフェ」のような空間が紅茶でつくられうるのか?現在、スタバなどでは紅茶は飲めるが、あくまでサブとしての飲み物という位置づけである。今後は、コーヒーと紅茶を対等に扱うような両刀づかいのカフェになるのか?カフェはこれから紅茶の進出でまた新たな様相を帯び始める予感がする。

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by kurarc | 2018-04-28 17:36 | gastronomy

A Filetta(ア・ヴィレッタ) コルシカ島の民族音楽

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トランペット奏者パオロ・フレスのCD『Mistico Meditarraneo』は、コルシカ島のコーラスグループ、A Filetta(ア・ヴィレッタ)との共演によるCDである。

コルシカ島といって思い出されるのは、あのナポレオンの生地くらいのもので、わたしももちろん訪れたことはない。コルシカ島はフランスに属する島であるが、その文化的背景はイタリアに帰属するという。南にサルディーニャ島があるからこの島の影響をすぐに想起してしまうが、文化とはそんなに簡単なものではない。地理的条件と文化的背景はかならずしも一致しない。コルシカ島はその文化的背景をトスカーナ、ピサ、ジェノヴァといった地方の支配、つまりイタリアの影響が刻印されているようだ。

コルシカ語によるポリフォニー音楽を奏でるA Filetta(ア・ヴィレッタ)は、男性のみによる7名の構成であり、通常、楽器は一切使われず、声のみの音楽だが、今回はフレスとバンドネオン奏者、Daniele di Bonaventuraが加わっている。

コルシカでは1970年代から、こうしたコルシカ語を使用した音楽ユニットが形成され始めたというから、単にEU統一の流れの中で形作られた伝統、歴史への目覚めといったことだけでは理解できそうもない。きっと、昔から民族音楽への愛着の強かった地域であったと推測される。(CDの中にはなぜか、チベットのマントラが含まれる。これが名曲 !!)

音楽の方は、かつて聴いたことのない合唱曲であり、以前、ブルガリアン・ボイスが日本で流行したこともあったが、そうした音楽とも異なり、土の香りの強い音楽(感覚的な言い方であるが)である。わたしはフレスのトランペットと彼らの音楽とのコラボレーションというだけで満足なのだが、もう少し、コルシカ島の民族音楽について知りたい気持ちになった。
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by kurarc | 2018-04-25 11:29 | music

映画『グッドモーニング・バビロン』

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ヴィットリオ・タヴィアーニ追悼を兼ねて、映画『グッドモーニング・バビロン』を観る。この映画をなんでもっと早く観なかったのだろうと悔やまれるくらいの力作であった。建築修復を手がけるアルチザン一家の物語。父とその子供たち、7人兄弟の6人目と7人目の末っ子の数奇な運命の物語である。

映画では映画監督D.W.グリフィスを登場させているように、グリフィスとグリフィス率いるハリウッドへのオマージュ(少しの皮肉を込めて)も含まれる。つまり、「映画内映画」である一方、アルチザンの物語を重ね合わせているが、それだけではない。愛(兄弟愛)あり、悲しみあり、別れあり、涙と死(第一次大戦)が描かれる映画である。

映画の中で登場するグリフィスの映画『イントレランス』をわたしはまだ観ていない。この映画を観たものは、必見であろう。そして、グリフィスが嫉妬したというイタリア映画『カビリア』も。

兄弟のアンドレアを演じたジョアキム・デ・アルメイダはポルトガル、リスボン出身の俳優。少し冷静でおとなしげな青年を見事に演じていた。このあたりの配役も光っている。そして、脚本協力はトニーノ・グェッラ。言うことはない。

次は、『太陽は夜も輝く』を観るしかない。

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by kurarc | 2018-04-23 22:13 | cinema

映画『いそしぎ』と映画音楽

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映画音楽が先行して、その映画を観ていないという場合がある。映画『いそしぎ』もその典型的なパターンの一つであった。レンタルでもVHSでしか観ることができない。わたしは幸い、未だにVHSを観ることができる機材を持っているので、借りてきた。まずは、音楽がどのように使われているのかを確かめたかった。冒頭の音楽が素晴らしいのだが、ラストに流れても良さそうな力の入れようで、バランスの悪さを感じた。映画自体は不倫と宗教(信仰と無信仰)を題材にしたラブストーリーである。

この映画で特出されるのは、その舞台、カリフォル二アの海岸である。そして、その海岸に突出するように建設された住宅に目が行った。住宅は木造で、岩を基礎として建ち、全面に広がる広大な海を独り占めしている。こうした建築はその美しい海岸を壊しているとみることもできるが、住宅のスケールなので、許せる範囲なのではないか。

この映画をみたのは音楽のためであった。エリザベス・テイラーが出演するが、残念ながらそのシナリオと彼女の熱演はうまくかみ合っていず、破綻しているように感じた。同じラブストーリーでも、たとえば『ひまわり』の方がより成功していると思われるが、こうしたラブストーリーはわたしは苦手である。

吹奏楽でこの映画のテーマ曲をやりたいと思っているが、この映画を観たことのあるものは相当のシネフィル以外、少ないに違いない。実は『いそしぎ』の意味をよくわからなかったのだが、これは鳥の名前である。海岸に生息するシギで、この映画の中で重要な役割を果たしている。ただ、カリフォルニアには「いそしぎ」は生息していず、「ハマシギ」なら生息するらしいが、映画の題名が「ハマシギ」では、記憶に残るようなタイトルにはならなかったと思う。そのことを知った上で、「いそしぎ」と訳したのかもしれない。

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by kurarc | 2018-04-22 08:46 | cinema

福生市役所見学

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今日は午前中に福生市役所を見学。以前勤務していた建築設計事務所が設計監理を手がけた建築である。三鷹市庁舎建て替えのワークショップに参加することになったため、最近建設された新しい市役所の学習も兼ねての見学である。

結論から言うと、福生市役所は、スケール観がよいこと、市役所としての権威の誇示などは感じられず、好感がもてた一方、様々な点において疑問をもったことも事実である。

まずは、人工地盤のつくりかた。芝生を植えることはよいが、傾斜をつけることにどれだけの意味があるのか?市役所は非常時に市民が集まるような機能を考えると、安易に傾斜をつけるよりも、集まったときに、機能的な広場にできることを優先すべきではないか?また、人工地盤へ上るのは階段のみであり、スロープがない。車椅子利用者は、一度建物の中のエレベーターを利用して、この人工地盤に上ることになる。(つまり、休日には人工地盤に登れない)スロープを排除したのはなぜか?etc.

屋外階段の収まりに欠陥があり、見苦しかった。これは設計事務所の詰めの甘さが露呈していた。市役所としての魅力はあるが、大くの疑問が残る建築であった。

三鷹市は今後どのような市役所を模索していくことになるか?建築家は予定調和的に広場を計画したり、ホールを計画するが、市民に喜ばれない、または、市民が活用しようとしない広場をつくっても意味がない。そのような広場であればない方がましである。広場を計画するのであれば、ロマン主義に偏らず、確実に市民に利用されるような仕掛けを用意しなくてはならない。21世紀、ポスト3.11の現在、市役所(市庁舎)は、徹底的に市民の活用をシミュレーションした上で計画すべきである。

*開口部の内側には手動のアルミルーバーが設置されている。手の届くところは開閉が容易だが、吹き抜け状の箇所はどのように操作しているかよくわからなかった。

*芝生、床タイルとツラ(同一面状)に収められたトップライトには、「ガラスの上に乗らないでください」の注意書きがあった。強度上は問題ないと思われるが、万が一のためにという注意書きだと思う。このように書かれることは予想できたはずなのだから、トップライトの収まりを地面とツラで収めるのは問題がある。

*今日は初夏のような天気。このようなよい天気の日に、人工地盤上の広場には誰もいない。多分、休日も同様だろう。この広場は一体なんのためにあるのだろう?
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by kurarc | 2018-04-19 16:26 | architects

ヴィットリオ・タヴィアーニ 逝く

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映画監督タヴィアーニ兄弟の兄、ヴィットリオ・タヴィアーニが去る15日に亡くなられたという。ご冥福をお祈りしたい。

このブログでも彼らの映画『カオス・シチリア物語』について何度か書いてきた。1980年代の映画で、わたしの中でベスト10に入るすばらしい映画である。1980年代にタヴィアーニ兄弟やアンゲロプロス監督からわたしは映画の奥深さを知ったように思う。映画の楽しさを教えてくれたのもタヴィアーニ兄弟の映画があったからである。

わたしの手元には、タヴィアーニ兄弟傑作選DVD-BOXがある。『サン・ロレンツォの夜』、『父パドーレ、パドローネ』、そして『カオス・シチリア物語』の3枚のDVD-BOXである。こうした高価なDVD-BOXを購入したのは、ほかにビクトル・エリセ監督と侯孝賢監督だけである。つまり、わたしの宝物の一つといってよいDVDである。

彼らの映画は未公開や特別上映などのものが多く、日本でも上映は限られ、いまだに全貌をつかむことができない。困ったことに、DVDも非常に高値がついており、購入に躊躇してしまう。その中でもレンタルで観ることができる『グッドモーニング・バビロン』や『太陽は夜も輝く』がある。久しぶりに彼らの映画を観て、ヴィットリオ・タヴィアーニ監督への追悼としたい。

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by kurarc | 2018-04-17 23:03 | cinema

吹奏楽 夢の時間

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週一度のペースで、母校の小学校音楽室に集まり、吹奏楽を楽しんでいる。わたしが小学生の頃と音楽室の位置は変わっているが、校舎の外観や内観はほとんど変わっていない。

3月終わりには校舎内部からみえる桜(上写真)を楽しんだが、それは45年以上前に見た風景と同じ。少し記憶が薄れてはいるが、小学生の頃を思い出しながら音楽を楽しんでいる。

「夢の時間」と書いたのは、なにも音楽の演奏がすばらしい出来であるからではなく、わたしのような稚拙な演奏でありながら、音楽を楽しんでいる時間は、夢の中での出来事のように感じられるのである。それは多分、音楽が現実の苦悩を忘れさせてくれるからかもしれない。

とはいえ、音楽に打ち込むこともまた新たな苦悩、苦労のはじまりでもある。しかし、その苦労は現実とは異なり、創造的苦悩であるから、楽しめるのであろう。これがプロとなると金銭的苦悩が生じるのだから、音楽を楽しむことは二の次になってしまうこともあるだろう。

この夢の時間が今後とも続くことを願って、少しでも音楽が上達することを目指したい。

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by kurarc | 2018-04-14 21:04 | music

光について キャノンサイエンスラボ

先日、白黒写真を久しぶりに撮影し、現像したネガを友人のカメラマンの力を借りて、印画紙に焼き付けた。わたしには初めての経験で、大変興奮した。印画紙に自分の撮影した画像が現れる瞬間が特によい。それはたとえて言えば、無から有が現れるような経験である。

そうした経験から思ったのは、わたしはある物体(被写体)を撮影しているのだが、その物体に対する興味だけでなく、その物体を物体として認識させてくれている光に対する興味が改めてわいてきたということである。

光は最近では波動と粒子という二つの現象の綜合として把握されているようだが、目に見えないものであるだけに、われわれはそれを直感的に理解できない。光には可視光線のなかに色のスペクトルがあると言われても、われわれが目にするのは透明の光線だけであるから、虹をみるとか、プリズムのような装置が必要になる。

こうした光を学ぶのに適したHPを偶然みつけた。キャノンのサイエンスラボである。このラボは子供向けの編集もあり、大変わかりやすい。企業がこうしたHPを作成していることは、その企業の文化的成熟度を示している。

マニュアルカメラで今後どのような被写体を撮影するのか?わたしの目的ははっきりしてきた。それは、光をまず捉えることであり、そのための被写体ということである。光がまず優先される。光がみえるような被写体である。それは何か?それが見つかったならば、次の目標は、写真展を行えるくらいの作品を仕上げていくことである。

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by kurarc | 2018-04-11 12:48 | photo

Archiscape


by S.K.
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