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映画『海洋天堂』

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ブログは最近、映画紹介に偏ってきたが、それはよい映画に巡り会っているということであり、ご容赦いただきたい。

映画『海洋天堂』は自閉症児とその父が死ぬまでの物語である。監督のシュエ・シャオルー(女性監督)は、14年の間にわたる自閉症児に対するボランティア活動から、この映画の脚本を書き、自ら映画監督としてメガホンをとることになった。

中国での自閉症児は、1980年代の一人っ子政策での子供が多いという。一人っ子は、将来親が死んでいくとき、どのような道を歩まねばならないか、さらにその子供が自閉症であった場合、どのような運命に遭遇するのか?シュエ・シャオルーはそのような現実に起こりえる社会状況を踏まえて、この映画をつくろうとしたらしい。

主演で父親役のジェット・リーとその子で自閉症児を演じたウェン・ジャンの熱演がひかる。今回は脇役としてグイ・ルンメイがスパイスを効かせてくれている。

障害者を扱った映画はいまだに数は少ないと思うが、この映画は障害者の子を持つ親がみたら、きっと共感できる映画になっているに違いない。この映画が優れているところは、障害者に対し、感情に流されるのではなく、時にはユーモアを交え、あくまで映画作品として表現している点だと思う。ドキュメンタリーのような手法は徹底的に排除されているのがよい。

父を熱演したジェット・リーは現在病に伏し、仕事から遠ざかっているという。こうした優れた映画に出演したジェット・リーには早く回復してもらい、再びよい映画作品で出会いたいものである。

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by kurarc | 2018-09-25 00:14 | cinema

台湾映画『言えない秘密』サウンドトラック

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台湾映画『言えない秘密』は音楽も優れている。映画内の音楽の大半を作曲しているのは主演のジェイ・チョウである。

サウンドトラックを初めから聴くと、映画の情景がほぼ完璧に頭の中に思い描くことができる。ジェイ・チョウの作曲能力には並々ならぬものがある。以前、このブログで映画『打ち上げ花火下から見るか?横から見るか?』のREMEDIOS(麗美)の音楽について書いたが、その音楽に匹敵するできだと思うし、映画全体も岩井俊二のテイストに近い気がする。(ジェイ・チョウは岩井の映画を観ているのでは?)

曲にはそれぞれ台湾華語のタイトルが付されているが、その漢字の羅列により想像が刺激され、漢字文化圏の日本人ならではの楽しみ方ができる。

この中では『路小雨』というタイトルと曲がよい。1分37秒の短い曲。「路」と「小雨」(グイ・ルンメイが演じるシャオユーの名前であった)という単純な漢字を羅列しただけであるが、想像をかき立てられるし、国木田独歩の小説の中に出てきそうな言葉のようである。映画の中で重要な役割を担っている『Secret』という曲もよい。サウンドトラックでは二つのヴァージョンが録音されている。

アジア人のジェイ・チョウという新たな才能に出会えたことは幸運であった。わたしはこうしたアジア人の活動にあまりにも無関心でいたことは反省しなければならない。わたしが初めて行った外国は台湾であったということも忘れないようにしなければ・・・

*上:サウンドトラック表題(クリックすると拡大されます)

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by kurarc | 2018-09-20 23:16 | music

台湾映画『言えない秘密』

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台湾映画『言えない秘密』は、青春もののファンタジー映画としては出色のできであった。

監督ほか脚本、主演、音楽をも担当したジェイ・チョウは、そのどこにでもいそうな普通の青年(映画ではピアノの天才的プレーヤーだが)を演じるにはちょうどよい風貌であり、力の抜けた演技は、この映画の青年の役を考えたとき、納得できる演じ方であった。

もう一人の主演を演じたグイ・ルンメイは、映画の前半と後半で全くことなる心理状態を演じ分けなければならない重要な役であり、その対比を見事に演じ分けていた。

この映画を見終わると考えるのは、出会いと別れである。人は様々な出会いと別れを繰り返すが、それはなぜなのか?死は絶対的な別れであるが、別れはそれだけではない。生きている間、別れは度々訪れる。親しい友との別れ、恋人との別れ、一緒に働いた人との別れ・・・と数限りない出会いと別れの繰り返しである。

この映画では初恋の人との別れを描いているが、その初恋の人には思いがけない秘密が隠されていた・・・

台湾の淡水(淡水は、東京から言えば湘南の感じであろうか?)を舞台としたこの映画はその風景も映画の主題と重なる。西洋的なデザインであってもどこかなつかしい学校建築や海辺の風景、坂道の描写など、日本人にはその空間から郷愁を共感できる。

グイ・ルンメイの出演する映画を集中して観ているが、どうしてなのかこの映画を観てやっと気づかされた。髪型といい、風貌といい、中学生の頃、気になっていた女の子に似ていたからである。

*この映画は、過去から来た少女との出会いと別れを描いたもの。時を超えた恋を描いたものといえる。現実にはあり得ないことかもしれないが、今会っている人間が現在の人であり、過去からやってきた人、あるいは未来からやってきた人ではないとどうやって証明できよう?少なくと人間は、両親の遺伝子を受け継いでいるのだから、すべての人間は過去からなんらかの情報を受け継いでいると考えられる。また、この映画は死後の世界をも表現しているとみなせる。シャンルンは死ぬことによって、シャオユーと再会できることを知っていたから、彼は自ら死を選んだのだろう。

*この映画は上に述べたことだけではない。様々な主題が重ね合わさっている。「秘密」をキーワードとすれば、シャオユーは、シャンルンの父が秘密を守らなかったために、悲劇を迎えること、つまり、秘密の大切さを教えているとみなすことができる。また、シャオユーの言葉の中に、「同じ歌が好きな人を見つけた」というような台詞があるように、同じ歌(音楽)の好きな人との共感を主題としているとも捉えられる。

*この映画が封切られたのは10年前。なぜこのような魅力的な映画をその時点で観ることができなかったのか?映画のよいところは、その10年という空白を映画を観ることによって感じ取れること。映画とは、時間に対する郷愁を楽しむものでもあり、常に不完全な過去からの贈り物である。



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by kurarc | 2018-09-19 14:47

加藤耕一氏(東大教授)によるリノベーションの西洋建築史

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仕事の帰り、恵比寿の日仏会館に立ち寄り、日仏文化講演シリーズ第320回『時がつくる建築 リノベーションの西洋建築史』を聴講する。講師は東大教授の加藤耕一氏であった。

建築の世界ではリノベーションや機能転換の仕事が注目されている。こうした文化を西洋建築史という文脈の中で相対化してみるとどうなるのか。パリに留学経験のある加藤氏は、パリの事例を中心として、スライドを交えながら講演が進められた。

興味深かったのは、古代からの時間軸を設定した場合、まずは再利用的建築観による建築利用が圧倒的に数多かったこと、つまり、建築は再利用されることが当然であった。(オーセンティシティーという概念も存在しなかった)16世紀になると大航海時代の影響もあり、西洋には外部の世界、また自らの中世という時代を「野蛮」と位置づけ、再開発的建築観が勃興した。その具体的事例で最も知られているのはローマのサン・ピエトロ寺院であるという。千年以上にわたる歴史のあった中世的意匠を残すサン・ピエトロ寺院を醜悪なものと認識し、ルネサンスの天才たちが新たな案を競い、よく知られているようにミケランジェロ他のプランによる再開発が行われたのである。(中世的意匠を残すサン・ピエトロ寺院は破壊された)

19世紀になると文化財という概念が生まれ、今度は再利用するのではなく、元の状態に戻すべきという復原思想が重要視されるようになる。こうした思想では、再利用しようとするような発想は押さえ込まれてしまうことになる。

21世紀はどうか。20世紀の発展という時代から収縮(shrink)の時代に移行し、再び我々は再利用という解決方法に注目するようになった。しかし、時代がそう思考させるということであれば、好景気になれば我々は再利用という解決を忘れ、再開発というスクラップ・アンド・ビルドの思想に逆戻りしてしまうのではないか?

我々は以上で述べたような2000年以上の建築史を相対化できる思考を備えている。よって、好景気になり安易に再開発思考に移行してしまったとすれば、人間は時代(経済)を凌駕することができない存在であることを証明することになる。理性は時代に勝つことができるのか、できないのであろうか?

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by kurarc | 2018-09-18 23:48

サルディーニャ島のマラリア 免疫と遺伝子

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多田富雄氏の著作『免疫の意味論』は難解な書物である。1990年代に免疫学が注目されたとき、この書物はその中で、必須の文献として紹介された。今更ながら読んでいるが、かなり専門的な内容であり、細部にわたって理解することは困難である。

芸術にも造詣のの深い多田氏の著作であるため、章の始めに芸術に関する話題を導入部に述べる箇所が何章かにある。第11章では、イタリアの孤島、サルディーニャ島の文化に触れながら、この島に流行したマラリアについて言及している。

サルディーニャ島はムッソリーニが大がかりな土地改良や湿地の埋め立てを行う第二次大戦前までは、マラリアが流行したという。しかし、島民はマラリアで全滅しなかった。それはなぜか?島民が生き延びた理由は遺伝病にあった。地中海性貧血と呼ばれる血液の病気をもつ島民が多かったため、マラリアが赤血球に侵入することができなかったのだという。

地中海貧血の患者はマラリアに強い抵抗性を示したため、マラリアの流行を防いでくれたということである。サルディーニャの島民は、地中海貧血という病の代償ははらったものの、致命的な病から救われたことになる。

多田氏はこうした歴史的背景から、悪いと思われる遺伝子を排除することの危険性を指摘する。遺伝子操作が注目されているが、こうした歴史的背景を認識しておくことは重要である。今後、悪いと思われる遺伝子を取り除いていくような治療が許可されるようになったとき、人間は思わぬ陥穽にはまりかねない。そのことを十分肝に銘じておかなければならない。



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by kurarc | 2018-09-17 20:27 | nature

三鷹市大沢 復原された「わさび農家」(旧箕輪家)見学

三鷹市の文化財市民協力員養成講座の一環として、三鷹市大沢のわさび農家を見学。

三鷹市大沢に残る旧箕輪家住宅主屋が今年復原工事を終え、11月から一般に公開される。三鷹市民の有志がこの農家の由来などを学び、見学に来られる人々にガイドするための事前学習会が今日行われた。

公開前なので、写真は掲載できないが、思った以上に優れた農家であり感心した。まずは明解な構造とわさび田(現在は整備中)に開かれたプラン、また屋根は防火上銅板で葺かれたが、オリジナルは「麦から」を使用したことが復原工事の段階でわかったという。麦を使って屋根を葺くのは大変珍しいことだという。

また、興味深いのは、オーナーが土壁を塗るのにお金がかかるため、竹小舞が残され、露出した壁があったということだが、その壁をそのまま残したことで、竹小舞がどのように組まれているのかがわかり、学習しやすいこと。結果として、訪れた人々に大変説明しやすい状態となっている。

農家のスケール感もよく、この農家を建設した大工は、相当腕のよい大工であったことが想像される。残念なのはわさび田の手入れがなされていず、当時の風情を感じるまでにはいたっていないこと。湧水の量もかなり減少し、わさびを育てるには厳しい環境であるということだが、なんとしてもわさび田を含めて復原し、三鷹に残っていたわさび農家の原風景を感じられる環境へと成長してもらいたいと思う。

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by kurarc | 2018-09-16 00:04 | design

ジャック・ドゥミの映画 ファーストシーン

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このところ以前にこのブログで書いたジャック・ドゥミ監督の映画『シェルブールの雨傘』ラストシーンに関するアクセスが多い。映画『LA LA LAND』で再び脚光をあびるようになったジャック・ドゥミであるが、彼の映画のファーストシーンも忘れられないものが多い。

『シェルブールの雨傘』での上空からの雨傘の動き、リズムの捉え方、『ロシュフォールの恋人たち』でのダンスから運搬橋の上空へと移動するカメラアングル。この二つの映画は特に関連付けられ撮影されたこともあり、『ロシュフォールの恋人たち』のファーストシーンでも上空からのアングルが意識的に選択されたと思われる。このアングルは個人的には妻のアニエス・ヴァルダの提案ではなかったかと思っているが、定かではない。

『LOLA』のファーストシーンは、上の二つに比べると消極的だが、海岸を走る車のシーンは後の映画『天使の入江』でニースの浜辺を疾走するシーンへと展開することになる。このファーストシーンほど秀逸なものは数少ないと思われるが、単に疾走するだけでなく、ジャンヌ・モローの顔のアップからはじまり、その疾走中に流れるルグランの音楽がさらに映画への期待を膨らませる。

ジャック・ドゥミはエンターテイメント性に長けた映画監督であり、そのエンターテイメントの品の良さが何度も繰り返し見返すことができる映画の質を保証してくれていると思う。

*上写真 FILMAPより引用(映画『天使の入江』の冒頭の一シーン)

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by kurarc | 2018-09-14 22:16 | cinema

無限音階 YMO「LOOM/来たるべきもの」

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音響学の本を読んでいいると、「無限音階」に関するコラム記事に出くわした。

低周波の低音から高周波の高音を順番に鳴らし、一巡したら、それを繰り返す。すると、人はピッチがいつまでも上昇するように聞こえるという。その反対に高周波から低周波を繰り返すと、ピッチは下降するように聞こえる。この現象を応用した曲がYMOの『BGM』のアルバム最後の曲「LOOM・来たるべきもの」で聴けるというので、早速聴いてみる。

アルバム全体は実験性の強い楽曲が多く、なじめなかったが、この最後の曲「LOOM・来たるべきもの」だけは突出したできであった。何のことはない、無限音階を素直に曲にしただけなのだが、そこには、他の曲にはない非自己性のようなものが表現されていて心地よいのである。他の曲は簡単に言えば「幼く」、この曲だけは「大人」の曲といったらよいかもしれない。

「LOOM/来たるべきもの」はYMOのマニュピュレーターとして活躍した松武秀樹の曲。この曲はシンプルだが、きっと高度なテクノロジーを駆使しながら、それらを見せつけるのではなく、消去するような手法をとったと思われる。YMOの活躍の裏には、こうした松武のような技術者の存在があってのことだったのだろう。わたしはこうした裏方の方に興味がある。

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by kurarc | 2018-09-13 22:11 | music

自然という人格

台風の巨大な力に驚いていたのもつかの間、北海道で巨大地震が発生した。この台風と地震とには何らかの関係があると思われるが、人間は未だに大自然を把握することはできないし、今後もすべてを把握できるとは思えない。

様々な自然からの復讐が始まっているように思えて仕方がない。わたしの子供時代は公害問題が大きく取り上げられた時代であった。四日市ぜんそくなど大気汚染や工場排水による水の汚染が大きく取り上げられた。そうした問題は徐々に解決されていったが、その後、大量消費社会に移行し、ゴミ問題、特にプラスチックなどの大量廃棄が海を汚染するようになった。

わたしは自然には人格があり、人間と同じように、会話できる存在なのだと思っている。動物とコミュニケーションするための言語は存在しないが、それは人間が無能なだけで、何らかのコミュニケーション手段があるのだが、まだ気づかないだけなのではないか。星の王子さまのように動物たちとコミュニケーションできる日がくるのではないか。わたしはまず鳥と話がしたいと思っているが、そのときどのような会話がかわされるのか?きっと、人間は鳥たちからいじめにあうに違いない。

自然という人格がどのようなものか、それを知るための学問があれば、今からでも学びたい。


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by kurarc | 2018-09-07 12:51 | nature

常温飲料

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恵比寿駅の自動販売機で、常温飲料が販売されているスペースを見かけた。わたしが気づかなかっただけで、調べてみると2013年から販売されているという。

夏場のエアコンは室内作業をしているものにとっては身体にこたえる。わたしはエアコンの入っている室内では夏場でも暑い紅茶、コーヒーなどを飲む。(さすがに、お客様には冷たい麦茶などをお出しするが)外に出る場合は、熱い紅茶を入れて、750mlのSTANLEYをいつも持ち歩くようになった。

日本人はいつから冷たい水が好きになったのだろう。冬場でも飲食店では氷水を出してくるところも珍しくない。わたしが過ごしたポルトガル(その他欧米も同様と思われる)では、ミネラルウォーターを頼む場合、常温か、あるいは冷えたものか尋ねられる。わたしが知る限り、夏場でも常温を頼んでいるポルトガル人が多かったように思う。

身体を温めた方が免疫力があがる、常温飲料の方が代謝が高まる、などといった見解もあり、常温飲料は結構売れているという。また、結露しないので、鞄の中にいれておくのにも都合がよいという訳である。

それにしても、むやみに氷水を出す習慣は止めてほしい。日本人であれば、暑い夏場でも温かい緑茶やほうじ茶で十分だと思うが・・・


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by kurarc | 2018-09-01 21:53 | gastronomy

Archiscape


by S.K.
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