人気ブログランキング |

<   2018年 12月 ( 13 )   > この月の画像一覧

エッフェル塔 130周年

b0074416_12400722.jpg

ロラン・バルトの『エッフェル塔』を読んで、エッフェルの業績について無知だったことに気づき、早速、3、4冊のエッフェル塔関連の書物をそろえた。その中でも、手軽に読めるものに、倉田保雄氏の『エッフェル塔ものがたり』(岩波新書)という名著がある。この一冊を読むだけで、エッフェル塔についての文化史がおよそ把握できる。

この著書によって、地上およそ300メートルの高さのエッフェル塔を19世紀末に建設することがいかに困難な仕事であったのか、また、エッフェルという建築家であり技術者、研究者がいかに優れた人物であったのかについてもよく理解できた。

エッフェルはエッフェル塔を建設する以前に鉄(錬鉄)の橋の建設により技術(圧搾技術や水力機械の技術とその応用)の蓄積があったことが、エッフェル塔を建設する上での礎になり、バルトに「立った橋」と形容されたエッフェル塔を平均およそ200人という少人数の熟練労働者に建設させた。竣工までに労働者が死亡するような事故もなく、「鉄の魔術師」としての本領を発揮することに成功したのである。

しかし、一方様々な困難も当然存在した。まずは若くして妻を亡くしたこと(5人の子供が残された)、エッフェル塔建設時に労働者のストライキに遭っていること、知識人たちからのエッフェル塔に対する批判etc.あげればきりがないくらいである。そうした困難を乗り越え、エッフェル塔が竣工した折には労働者をねぎらうことを忘れず、かつてストライキを起こした労働者たちは涙を流しながら竣工をエッフェルとともに喜んだという。

エッフェルの家系はドイツ系フランス人である。純粋なフランス人など存在しないと思われるが、こうした緻密な仕事を成し遂げたのは、ドイツ系という血筋も一役かっているのかもしれない。エッフェルの業績はエッフェル塔だけではもちろんない。正月休みを利用して、調べてみたいと思っている。

2019年3月31日、エッフェル塔は竣工130年を迎えることになるから、パリではなんらかの催しがあるに違いない。

*エッフェルの血筋は、ドイツ領アルデンヌ地方に住んでいたジャン・ルネ・ベニックハウゼン(エッフェルの曾祖父)がパリに移住してきたことからはじまる。1711年に結婚したおりに、エッフェル-ベニックハウゼンと改名。エッフェルとはアルデンヌ地方の丘陵の名前「Eifel 」。これをフランス風に「Eiffel」としたのだと言われている。(『エッフェル塔ものがたり』より)

b0074416_12401537.jpg


by kurarc | 2018-12-31 12:37 | France

名作でなく傑作 映画『SWING GIRLS』

b0074416_23081024.jpg

映画『SWING GIRLS』を初めて鑑賞。矢口監督の映画も初めてである。まずはこの映画の軽妙な進行とユーモア、そして普通の女子高生がジャズをやるというコンセプトが見事に描かれていて感心した。こうした映画は、カンヌ映画祭やヴェネチア国際映画祭などに出品されるような映画ではないと思うが、そうした映画祭とは無縁であっても、この映画の価値が高いことに変わりはない。

俳優たちが楽器を練習し、ライブで披露するという映画のつくり方にも共感を覚えた。様々な音楽映画はあるが、音楽映画は俳優が演奏して初めて輝きを増す。それは、単にリアリティという問題ではなく、音楽がもつアウラと映像とが密接に関連しているということである。

最もおもしろかったのは、イノシシに追いかけられるシーンであろうか。そのシーンにかぶせた「この素晴らしき世界」というルイ・アームストロングの歌とのミスマッチがたまらなかった。そして、田舎の女子高生(ここでは山形)の生態が事実とは異なるにしてもうまく描かれていた。個性的な配役もよいし、映画のラストがコンサートで終わるという切り方も爽やかであった。

矢口監督の映画づくりはうまい、の一言。わたしの大学の後輩でもある矢口監督の映画をこれからも応援したい。

by kurarc | 2018-12-30 23:05 | cinema

新国立競技場

b0074416_23210258.jpg

昨日、障害をもつ従兄にクリスマスプレゼントを渡した帰りに、新国立競技場の状況を見にいった。従兄の家のすぐ近くなので、立ち寄ったのである。

この建築の評判は、建築家たちからは何気なく聞いていた。あまりよい仕事ではない、と言う評判である。建築を設計しているものなら見ればすぐわかる。競技場の軒にあたるデザインだけ見ても、この建築の詰めの甘さが露呈しているのである。

軒を木材のタテ格子のデザインで埋めているが、その木材のピッチが開きすぎていて、緊張感がないのである。そのピッチと鉄骨の柱との取り合いも不自然であった。

設計者はこのようなずさんな建築をつくるような人でないと思うが、この建築に限ってどうしたことだろう?設計に時間をかけられなかったのだろうか?あるいは、模型での検討が不十分であったのだろうか?

とにかく、ただただ大きいなぁ、と関心(感心でなく)しただけであった。

*千駄ヶ谷駅前、槇文彦氏設計の津田ホールが解体され、なくなっていたのには驚いた。

by kurarc | 2018-12-25 23:21 | archi-works

映画『海の上のピアニスト』 海の声を聴く

b0074416_21472483.jpg

映画『海の上のピアニスト』を観る。過去に一度観たような記憶もあるが、全く覚えていなかった。

この映画ではマックスというひとりのトランペッターの回想から始まる。彼は「コーン」と呼ばれる。これはトランペットのことに詳しい人でないとすぐに理解できないが、C.G.コーンという管楽器メーカーのトランペットを所有していたからである。わたしも以前所有していたメーカーであるが、肌に合わず、手放してしまった。

この映画は寓話だというが、ありえそうな話である。主人公「1900」は、1900年生まれ。船の上で生まれ、その後、船から降りたことがない。船の上でピアノをマスターし、伝説となったピアニスト、というストーリーである。

寓話をつくるのも、このくらい極端の方がおもしろいし、映画には都合がよい。「1900」は、一度陸に降りようとするが、とどまってしまう。それはなぜか・・・

そして、この映画の主題歌である音楽はどのように生み出されたかが、映画の中で描かれる。この映画の最も美しいシーンである。

「1900」の最期は悲しいが、この寓話であればこうでなくてはならない、と納得する。そして、トランペット好きには、たまらない映画であった。音楽を担当したモリコーネはトランペット専攻であったというから、コーンのトランペットは彼のアドヴァイスであったのかどうか?原作を読んでみなければならない。この主題歌「Lost boys calling」はフィリッパ・ジョルダーノの歌声でお気に入りだったが、今度トランペットで演奏したくなった。

*エンニオ・モリコーネは今年限りで引退を表明している。

by kurarc | 2018-12-24 21:45 | cinema

映画サウンドトラック その2

b0074416_12080442.jpg

映画音楽を意識し始めたのはいつ頃だったのか。それはわたしが特に映画をはじめて特別なものと意識した頃と重なる。

それはアンゲオロプロス監督の『シテール島への船出』という映画の音楽を担当したエレニ・カラインドルーの音楽(写真中央)であったと思う。1980年代中頃に観た映画である。この映画では音楽と俳優の動きを一致させるような演出がとられていたが、そのことが全く不自然でなく、また、滑稽でもなく調和していたことが驚きであった。

その次は、映画『夏の庭』であったかもしれない。音楽(ギター曲)を担当したアサド兄弟のファンであったからである。彼らが日本の映画音楽を担当してくれたことが信じられなかったし、また、そのコンサートをカザルスホールで体験できたことも忘れられない。

このあたりから映画音楽はわたしの中で映画を観る吸引力になったことは事実だろう。モリコーネの映画『ニュー・シネマ・パラダイス』などへの楽曲は古典となったし、アンゲロプロスの映画音楽を意識した頃とピアソラの音楽の出会い(アサド兄弟の演奏による)は同じ頃であったから、ピアソラの映画音楽もわたしの中で忘れられないものとなった。

よい映画とよい映画音楽は必ずセットになっている。映画がよいが音楽はダメということはまずあり得ない。それは音楽だけでない。シナリオから俳優、映画の色彩からモード、そのすべてが総合されたとき、映画は古典となるのである。ミュージカル映画『シェルブールの雨傘』はその最も完成した映画形の一つだろう。

by kurarc | 2018-12-23 12:09 | cinema

ロラン・バルト著 『エッフェル塔』

b0074416_18002031.jpg

ロラン・バルト著の『エッフェル塔』を30数年ぶりに読み返した。これほど優れた名訳であったかと驚いたことと、初めて読んだときにあまり面白みを感じなかったと思うが、今回はこんなに楽しい書物であったのか、と一気に読んでしまう。

モーパッサンのエッフェル塔嫌いの紹介からはじまるこの小論は、バルトがエッフェル塔を経験することから湧き上がるイメージ、すなわち、歴史、自然、テクノロジー、パノラマ的視線、19世紀、動物から植物etc.を一気に書き留めたような小論であり、きっと、短時間にまとめ上げたものに違いない。

エッフェル塔という一つの塔からバルト流のエクリチュールがあふれ出したような小論は、興味が尽きない。エッフェル塔が「記念碑の零度」を実現していることが重要だとするバルトらしい発見、そのことが「過去の聖なる重さを振り払い、歴史の呪縛力への犯行と破壊行為」であることをバルトは見抜いている。

しかし、建築を生業とするものからみると、バルトが語り尽くしていないこと、それは、この構築物をいかにデザイン、設計していったのか、そのことがわたしはもっとも興味あることだが、バルトはそこまでは語られない。つまり、その部分は建築家、または建築史家が語らなければならない宿題であると思われた。

モーパッサンはエッフェル塔が嫌いなため、エッフェル塔のレストランで食事をしたという。ここがパリでエッフェル塔を見ないですむ唯一の場所だからだと。しかし、エッフェル塔は見るに値する塔であることはすでに明らかとなった。それはエッフェルがもちろん確信していたことである。

*エッフェル塔を実際に設計し、構造の検討を行ったのは、ステファン・ソーヴェストル(建築家)とモーリス・ケクラン(構造家)である。

by kurarc | 2018-12-22 17:59 | books

映画サウンドトラック

b0074416_00502694.jpg

今年は映画のなかでも特に映画音楽に着目した。以前から少しづつサウンドトラックを集めてはいたが、その中でも特に気に入っているものを写真に収めてみた。(右下のCDはティル・ブレナー監修、カメラマン、ウィリアム・クラクストンに関する映画をテーマとしたCD)

映画は今や音楽抜きでは語ることはできなくなった。映画のなかでどのように音楽が使われているのか、その使い方でその映画の質が決定されてしまう。そのことをいち早く気がついたのは誰か?来年はそのあたりから調べてみることにしたいと思っている。

以前にも書いたが、今年最も頻繁に聴いた映画音楽は『言えない秘密』のサウンドトラックだろう。今でも毎日のように聴いている。無駄のないシンプルなメロディー、すべてが一つの主題からの変奏曲のように流れていく。映画自体はユーモアもあるが、コメディーではない。主演で監督であるジェイ・チョウの誠実さが伝わる名作である。

来年はこれ以上のサウンドトラックに巡り会えるだろうか・・・

by kurarc | 2018-12-21 00:52 | cinema

瞽女ミュージアム高田

b0074416_22205132.jpg


今年も様々な映画を観たが、その中で特に印象に残っている日本映画は『はなれ瞽女おりん』である。DVDも購入し、自宅でも鑑賞。昭和30から40年代まで、瞽女の文化が生きていたというから驚きを隠せない。わたしの生まれた1960年代は、江戸、明治、大正、昭和と続く文化の最後の閃光が輝き、消えていった時代であったのかもしれない。

瞽女について検索していると、新潟越前高田に「瞽女ミュージアム高田」があることに気づいた。今、もっとも見学したいミュージアムである。名著『日本の民謡』(浅野健二著、岩波新書)には、日本の民謡が数多く取り上げられているが、さすがに瞽女唄は見受けられない。これは落ち度と言わざるを得ない。

高田というと建築では「雁木」(上写真)が有名である。ブルーノ・タウトは、高田ではないが、1935年5月に富山から親不知、泊崎他を旅しており、この折りに雁木を見学し、その風情を日記に記している。タウトすら観ている雁木をわたしはまだ観ていない。タウトはわざわざ冬の横手に旅し、「かまくら」まで見学に行っている。できれば、冬、雪の降る季節に雁木を見学し、その建築的な工夫を体験すべきなのだろう。

それにしても、瞽女のような盲目の女性たちの文化になぜこれほど引きつけられるのだろう。それは、こうした瞽女、遍歴の文化に何百年という底辺の人々の記憶が継承されていると思えるからだろう。瞽女ミュージアム高田のHPによれば、2020年には、この瞽女をテーマとした映画(下)が公開されるという。

b0074416_22174678.jpg



by kurarc | 2018-12-17 22:14 | cinema

ピアソラ 右足と左足

b0074416_20071149.jpg

映画『ピアソラ 永遠のリベルタンゴ』を仕事の合間に鑑賞。ピアソラの息子ダニエルの視点から描かれたピアソラの生涯といった映画である。

ピアソラには二人の子供がいて、息子はダニエル、その姉はディアナ。ディアナは政治的な活動家であったこともあり、亡命生活を経験している。

ピアソラの演奏スタイル、つまり、右足を椅子に乗せ、左足一本で立ち、演奏するというスタイルは常々疑問を持っていた。この映画の冒頭でその疑問が解決した。(あくまで、わたしの予想であるが)ピアソラは1歳に満たない時期に右足を何度も手術するという経験をしていることが映画の冒頭につげられた。彼の足は右足と左足でかなり太さが異なっていたという。きっと、彼はその弱い右足を椅子に乗せることでかばい、左足で支えるというスタイルを築いたのではないか?

この映画では、「アディオス・ノニーノ」という彼の父の訃報を受けてすぐに作曲した曲と、「ロコへのバラード」という曲が彼にとって重要な曲であることが強調されていた。映画の中でピアソラは特に父親への感謝を素直に語っている。父親は彼が天才であることを疑うことはなく、音楽教育に情熱を注いだ。それにピアソラは応えたのである。

父親の愛情に応える、という彼の根底にある人間としての芯が彼の戦う音楽を支えたのだろう。ニューヨークで生活していた貧しいアルゼンチン移民が世界に通ずる音楽をつくるまでになることは並大抵のことではなかったのだろうが、それをピアソラは成し遂げたのである。

この映画の最後で、ピアソラが10歳のときに録音(金属レコードに残されている)した「スペインのマリオネット」(ランチェーラ)という曲を聴くことができる。

*ランチェーラ:ヨーロッパに発した民族舞踊のマズルカアルゼンチンに伝わり、マスルカ・ランチェーラ西: mazurca ranchera)として土着化したブエノスアイレス周辺では1930年代に大いに流行し、レコードも多数製作されたが、後に廃れていった。(Wikipediaより)

by kurarc | 2018-12-15 20:07 | cinema

リリー・ライヒ ミースの影に隠れた女性建築家

b0074416_20311610.jpg

昨年はアイリーン・グレイという女性建築家が話題になった。映画にもなり、コルビュジェとの確執も生々しく描かれていた。岸和郎氏の著作『デッドエンド・モダニズム』には、そのグレイと、もう一人、リリー・ライヒについて書かれている章がある。

リリー・ライヒについてはわたしも詳しいことはわからないし、調べてみたこともない。ミースの協働者であり、特にミースの建築のインテリアに携わった女性デザイナー、建築家である。

岸氏の指摘では、ミースの影に隠れ、忘れ去られた建築家であったが、1996年のMOMAで彼女のカタログ(上写真)が出版され、その全体像が見えてきたという。どうも、ミースの建築の「センシャル」な部分を彼女が補っていたのではないか・・・

数多くの建築をつくる建築家たちは、所員を数多くかかえ、その中でコンペティションなども行い、優秀な案を選択して、所長の名前で発表することは珍しいことではない。わたしはそうしたやり方に賛同するものではないが、自分とは異なる感性をもつような建築案を取り入れ、全く新しい建築をつくっていくという行為自体は肯定的に考えている。

ミースの代表作と言われている様々な建築に特有な生々しい素材感は、もしかしたら、リリー・ライヒの感性から生み出されたものが数多くあったのではないか・・・来年は、リリー・ライヒが日本のメディアの中で数多く取り上げられる気がする。

*あの名作、ファンスワース邸のカーテンは、シルクシャンタンが使われているという。こうした選択も、ライヒが関わった(この建築が竣工した時点で、ライヒは亡くなっていたが、彼女の感性を継承したという可能性)可能性が高いのではないか?どう考えても、ミースが選択したとは想像できない。

*ライヒのカタログはインターネット上でpdfとしてダウンロードできる。

by kurarc | 2018-12-13 20:28 | architects