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大船今昔

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打ち合わせのため横浜の本郷台に出かけた。現在、お世話になっている工務店が本郷台にあるためである。本郷台は大船駅経由で行くが、大船は母の実家のあった街である。早く着いたこともあり、打ち合わせ前、大船観音(写真)を望みながら母の実家のあった周辺を歩いてみる。柏尾川沿いにあった母の実家は大きな庭をもつ典型的な日本家屋であり、洋間も併設された立派な住宅であった。子供ながら、夏休みなど滞在するのが楽しみであった。ここから、海水浴は必ず逗子に出かける。子供の頃の夏休みの定番の過ごし方であった。現在はアパートに建て替えられてしまい、その面影はひとかけらも残っていない。わたしが東京へ移るおよそ5年前、近くにわたしの子供の頃のままのお菓子屋さんが残っていたが、現在はなくなり、アパートに建て替えられていた。

打ち合わせ後、鎌倉に住む従兄に会い、昔話に花を咲かせた。わたしと17歳年上の従兄は、昔の大船のことをよく知っていて、わたしの知らなかった大船の街の姿を語ってくれた。興味深かかったのは、わたしの母の実家の近く(大船から藤沢寄り)に古くはよく栄えた商店街があったことであり、昔は母の実家の近くに映画館もあったこと、また銭湯もあり、そこに従兄がよく通ったが、その銭湯で笠智衆さんに度々会った、という話を聞いた。また、母の実家の隣の魚屋は、大船軒のアジの押し寿司のアジを一手に取り仕切っていたことなどを聞いた。この魚屋は笠智衆さんがよく立ち寄っていたということは母からよく聞いていた。

従兄は鎌倉に関する著作もあり、鎌倉に関してかなり詳しいのだが、笠智衆さんのお墓が、成福寺(大船-北鎌倉の間、横須賀線から見える)にある、ということも教えてもらった。鎌倉に住んでいた頃、この近辺をよく車や自転車で通っていたが、まさかこの寺に笠さんのお墓があるとは知らなかった。浄土真宗のお寺は鎌倉ではここしかないから、ということらしい。

従兄とはもちろんこうした話だけではない。ブログではとても書くことができないようなそれぞれの苦労話、涙なしでは語れないような話、家族の話など、従兄同士でなければできないような話を交わす。わたしにとって良き兄のような存在である。若いことは美しいが、若いものとは交わすことのできない話もある。笠智衆さんと一緒に風呂に入った人など、今どこにいるだろう。

by kurarc | 2019-02-27 23:55 | 鎌倉-Kamakura

『世界はなぜ月をめざすのか』(講談社ブルーバックス 佐伯和人著) 月について

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「はやぶさ2」が無事着陸に成功したニュースが舞い込んだ。「はやぶさ」が近年大々的に取り上げられ、その影に隠れてしまったのは「かぐや」である。月探査は地球から近い衛星探査ということから、「はやぶさ」に比べて、ロマンに乏しいせいであろうか。

しかし、『世界はなぜ月をめざすのか』(講談社ブルーバックス 佐伯和人著)を読むと、宇宙を知るにはまずは月からがよい、ということがよくわかる。わたしのような宇宙のことをなにも知らない人間が、基本的な事項からよく理解できるように解説してくれている。全体は10章よりなるが、それぞれの分量が適切で、10回の講義を編集したような内容にまとめてある。

まずは、「はやぶさ」がなぜ注目されているのかについてどれだけの人がその意義を理解しているだろう。この著作ではそのことを容易に説明してくれている。このことを理解するためにはまず「分化」という言葉を理解しなければならない。地球や月は「分化」の進んだ天体である。「分化」とは均質なものが異質なものに分かれることであり、地球や月は溶けたマグマが再び固まり、様々な化学組成の物質が誕生している。それと比較して、「はやぶさ」が訪れたイトカワ(「はやぶさ2」であればリュウグウ)は、「未分化な」天体であるということが大きな意義をもっているのだという。太陽系初期の塵が集まってできた天体を維持しているため、太陽系初期にどのような物質が宇宙を漂っていたのかについて研究できると言う訳なのだ。

この書物は、こうした天体に関する用語を具体例を交えて解説してくれる。興味深かったのは、たとえば満月を地球から眺めたとき、よく知られた歌「・・・盆のような月・・・」という表現は、なぜなのか、について解説している箇所である。月は丸いのだから、常識的には中心から周辺に向かって影ができ、地球から観たときも球体として毬のように見えるのが普通ではないか、と著者も考えていたが、現実は平坦な盆のように見える。これは衝効果(しょうこうか)という現象であり、満月のように月に影ができにくい太陽の位置では全体的に明るく見えるために、月は盆のように均質な光の面に見える(月の表面がレゴリスという細かい砂で構成されていることも影響している)。よって、「盆のような月」という表現は、詩的な表現というより、むしろ科学的な表現であったということが理解できるのだという。

このように本書は、初学者でも宇宙について丁寧に解説してくれているために、いつのまにか基礎的な知識を吸収できるように編集されている。「はやぶさ」もよいが、まずは月について知ることが宇宙を知る上での出発点なのだと納得させられる。21世紀は月への開発が進む世紀であるだけに、予備知識としてまずは本書を読むことをお薦めしたい。ブルーバックスはそれぞれ出来不出来に差があるが、本書はその中でも名著と言われる書物になるに違いない。

by kurarc | 2019-02-25 21:54 | nature

映画『くりびるに歌を』と鉄川与助の教会建築

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映画『くちびるに歌を』(三木孝浩監督)を鑑賞。わたしは10代、特に中学生や高校生を俳優とした青春映画が好きである。すでに忘れそうになってしまった10代を思い出すことができるし、若い俳優たちの演技が好きだからである。

舞台は五島列島の福江島である。まず、この島のランドスケープの美しさに引き込まれた。起伏のある地形、坂道、そして、海を望み、その中に佇む美しい教会の姿。この教会は鉄川与助設計の水ノ浦教会(下写真)であることをあとで知った。わたしの手元にある『鉄川与助の教会建築 五島列島を訪ねて』の中には掲載されていない教会であった。鉄川の最晩年の仕事である。

五島列島での中学生たちが合唱コンクールを目指す物語だが、その先生役には新垣結衣が演じる。彼女は憎たらしい教師を演じていて、かわいらしい様子は一切みせないという役柄であり、なかなかの名演技であった。

それにしても、たびたび登場する鉄川の教会建築の美しさに心が奪われてしまった。真っ白い色彩と、小さな尖塔が海に面するロケ地、岐宿町と見事に調和している。隠れキリシタンの島として有名な五島列島は一度訪ねてみたいと思っていたが、この映画を観て、その思いはますます膨らんだ。

三木監督の丁寧な映画の作り込みにも感心した。音楽をテーマとした映画は数多くあるが、その中でも映画『スウィング・ガール』のようなユーモアのある作品と異なり、真摯な物語に仕上がっている。三木監督の映画はこれが初めてだが、他の作品も観たいと思わされた。

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by kurarc | 2019-02-23 22:08 | cinema

ブルーノ・ガンツ追悼

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ブルーノ・ガンツが亡くなられたという。彼の演技に初めてふれたのは、多分映画『白い町で』(上写真)だと思う。ちょうど、この映画でガンツとの不倫を演じた女優、テレーザ・マドルーガが気になっていて、久しぶりに『白い町で』を観たいと思っていたところであった。(映画『熱波』に彼女が主演していたことをまったく気づかないでいたためである。)わたしはこの映画で初めてリスボンという都市を意識したといってもよい。この映画を観て以後、リスボンに暮らすことになった訳だから、ガンツはわたしにとって大切な俳優の一人といってよい。

晩年の演技では、アンゲロプロスの最後の映画『エレ二の帰郷』が、わたしが観た最後の演技であったかもしれない。この役は非常に悲劇的な役どころであり、こうした狂気を内在しているような役どころが彼の真骨頂であったような気がするが、きっと、実生活では人の良い紳士であったのではないだろうか。

1970年代から80年代はヴェンダース映画の常連として、また1990年代からはアンゲロプロスの映画で輝いた俳優であった。実はわたしはまだ『永遠と一日』のガンツを観ていない。これはなるべく早く体験したいが、できれば映画館で観てみたいものである。彼の映画特集がどこかの映画館で企画されることを望みたい。

合掌

by kurarc | 2019-02-22 19:33 | cinema

月 17世紀 ケプラーの『夢』

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映画『FIRST MAN』を観て、「月」について忘れかけていたことに気づかされた。

2013年12月14日、中国の月着陸探査機「チアンヤ3号」が月着陸に成功しているというが、こうした報道について、わたし自身まったく記憶はない。また、NASAは「月面史跡保護ガイドライン」をすでに定めていて、月面のアポロ着陸地点を歴史的遺産と定め、立ち入りを禁止するという指針だという。メキシコ国境に壁をつくるなどと騒いでいる間に、アメリカは宇宙へのフロンティア拡張を着々と進めているのである。(『世界はなぜ月をめざすのか』佐伯和人著より)

ユートピア物語が海上を舞台とした航海者の漂流譚を発端にもつ(花田清輝)ことから宇宙へと拡張されたのが17世紀である。ティコ・ブラーエの天体観測データと天体運動の整合性を検討したケプラーが、天体運動を円運動から楕円運動であることを導き、地動説は自明のものとなった。ケプラーは『夢』という月旅行の空想科学小説を著し、同時代のミルトン『失楽園』にも影響を与えたという。

20世紀が16世紀、ルネッサンスからマニエリスムに対応するとすると、21世紀は17世紀、ケプラーやスピノザの世紀と対応するのではないか、と勝手に思っている。18世紀が啓蒙主義の時代とするならば、17世紀は一言でなんといえばよいのか(人口に膾炙されたことばとしては、「バロック」だろうか)、わたしにはわからないが、ケプラーのような独創的、先駆的な研究が行われ、次の世紀にその成果が結実していくという過度的な時代であり、21世紀も22世紀にその成果が結実するような時間になるのでは。宇宙(極大)とiPS細胞(極小)のような二つの流れ、つまり円から楕円のように二つの中心が、あるとき一つに結びつくのが22世紀であるのではないか。

それにしても、今年は「月」(あるいは宇宙)についても学習することにしたい。

*日本では現在興味のある井原西鶴や近松門左衛門、関孝和(数学者)も17世紀人である。



by kurarc | 2019-02-20 23:13 | nature

映画『FIRST MAN』



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映画『FIRST MAN』を調布にて鑑賞。なかなかよい出来の映画であった。月面着陸はわたしの子供の頃、最も大きなニュースの一つであった。わたしはニール・アームストロングら宇宙飛行士が持ち帰った「月の石」を見るために大阪万博に家族と出かけ、3時間程度真夏の路上で行列し、やっとの思いで「月の石」を眺めたことを今でも忘れられない。

この物語は、わたしと同時代の物語であり、ニール・アームストロングの物語だが、彼は、この月面着陸という目的を果たすために、多くの命を失った経験が語られていた。最も大きな死は、1961年に娘カレンを病で失ったこと、そして、1967年、親しく付き合っていた同僚を失ったこと。こうした死がなければ、彼はアポロ11号に乗り込むことはなかったと思われる。これは、ニールの運命としか言いようがない。

この映画は良き時代のアメリカを描いたものとして、政治性をもってしまうことも予想されたが、そのあたりをうまく交わして、人間のドラマを中心に描かれている。また、映画音楽もかなり手が込んでいて、アナログ・シンセサイザーやテルミンを使ったり、ノイズ音楽を思わせる音が各所に挿入されている。(町山智浩氏の解説による)

出来の良い映画であったと思うが、なにか強烈なインパクトに欠けている。それが何なのか?ライアン・ゴズリングの一人芝居的なところが目立ってしまったのか?配役に問題があったのか?シナリオか?映画としてもう一つ詰めが甘かったように思われた。よく言えば、こうした大きな歴史的事件をさらりと描ききったことかもしれない。ニールは冷静沈着で、私生活を表に出さないタイプの人間だったというから、その影響もあるのかもしれない。ニールらしい映画に仕上げたということだろうか。

*シアタス調布は、55歳以上はすべての映画を1,100円で鑑賞できるサービスを行っている珍しいシアター。椅子の座り心地、音響もよい。

by kurarc | 2019-02-17 20:48 | cinema

パサージュ・ジュフロワ

ブラタモリにパリのパサージュ・ジュフロワが登場した。興味深かったのは、そのパサージュの地下にもう一つの街路があり、これはパサージュが建設される以前の街路ではないかと考えられる、とのことであった。

このブログでも以前、このパサージュについて書いた(2010年9月26日のブログ)。ブラタモリではホテル・ショパンの中から地下へと入っていったが、このパサージュはここで屈曲していることに特徴があり、その突き当たりにクレヴァン蝋人形館があることで有名である。(グーグルアースで調べた限りでは、現在は蝋人形館という表記が出てこず、図書館と出てくる。)わたしもこの屈曲部が印象的であり、ここで写真を撮影し、それを2010年のブログで掲載している。

このパサージュは鹿島茂氏もお気に入りのパサージュであり、現在でも品良く保存されているという。わたしが初めて訪れた1984年にはかなり寂れた印象であったが、テレビで見た限りでは美しく維持されている。それにしても、今までパサージュの地下にもう一つの街路がある、というような記述は読んだことはなく、ブラタモリも馬鹿にできない。かなり貴重な映像であったことだけは間違いないが、これを見て、馬鹿な日本人が押しかけることがないよう祈りたいものである。

パサージュ・ジュフロワはシュルレアリストにも絶賛されたパサージュとしても知られている。鹿島氏によれば、開発が遅れたことにより、ガラス屋根に微妙な曲面を持つデザインが可能となったことや、街路の幅も広くとったことで、散策していて圧迫感もなく、当時、かなりの人通りで賑わったパサージュであったという。

*このパサージュ・ジュフロワの屈曲部を見事に撮影した写真は、田所美惠子さんの写真集『針穴のパリ』でみることができる。

by kurarc | 2019-02-16 20:41 | France

メモ 2019/02/15

最近の読書メモ 興味ある事柄のメモ

01)ラテンアメリカの文学、フランス、イタリア、ポルトガル、イスラム文学etc.など
カルペンティエル『失われた足跡』・・・音楽と建築
アストゥリアス『大統領閣下』
プイグ『蜘蛛女のキス』
コルタサル『石蹴り』
ボルヘス『七つの夜』、カルヴィーノの小説 
ミシェレ
タブッキ すべての小説。特に『レクイエム』の原書(ポルトガル語)
千一夜物語
須賀敦子

02)数学
フーリエ変換の理解から音響理論へ
論理学と数学の関係について
流体力学について

03)映画
アジア映画(特に中国、台湾映画)
ヨーロッパ映画全般
映画理論、技術
映画音楽の歴史
アンゲロプロスの映画と音楽
映画館建築

04)写真、写真論、写真史
ベンヤミン『図説 写真小史』から「アジェのパリ」とは何だったのか
伊藤俊治『20世紀写真史』
ロラン・バルト
多木浩二 写真論などに目を通すこと。
ライカの理解
白黒写真の理解

05)民俗学
瞽女の文化理解から土着的な音楽(瞽女うた他)、民謡、遊行民の理解へ
盲人の文化理解
沖浦和光の著作

06)建築、都市、デザイン
まちづくりから「エリア・リノヴェーション」へ
谷崎潤一郎『陰影礼賛』再考
クブラー『時のかたち』
上越 高田の都市の歴史について
福岡県家具の街-大川家具の技術調査
木造、鉄骨造、鉄筋コンクリート造の新しい工法の理解
重源とは何者か?
リベット接合の建造物の調査
空き家問題
Processing

07)音楽
岡田暁生著『西洋音楽史』
ライヒテントリット著『音楽の歴史と思想』再読
クセナキス
アーバン(トランペットの練習)
ギターと三味線

08)語学
フランス語
中国語(台湾華語)
ポルトガル語
スペイン語

09)旅
ポルトガル+フランス
台湾
沖縄
裏日本(新潟、富山、石川etc.)+信州

10)その他
スピノザ『エチカ』 スピノザとポルトガル
高山宏の著作
カタストロフィーと文化との関係について(exam. 谷崎潤一郎と関東大震災など)
免疫学
鳥について
波について
月(宇宙)について
砂、砂漠について










by kurarc | 2019-02-15 23:47 | fragment

リベタージュ(Rivetage)

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高田の旅の副産物は、JR高田駅が鉄道レール(一部)で構築されたリベット留めの駅舎であったこと。わたしが現在、撮影をしようとしている”リベタージュ”と命名した建造物に属するものであった。

実は、同じような試みで、建築家の岸本章氏は、レールでつくられた構築物(上屋)の写真を集大成したものを出版されている。興味をもってから30年、撮影し始めてから10年をかけた書物であるとHPに書かれていた。わたしはまだ、その書物をみたことはないが、わたしのプロジェクトもその書物に近似したものとなると思われる。

このブログでもカテゴリーに「リベタージュ(Rivetage)」をつくることにした。ひとまず、コンデジで撮影した写真を収めておくことにしたい。

*現在使用しているコンデジは、ライカ C-LUXである。ポルトガル語発音だと、”セールシュ”だが、もちろん英語読みの”シールクス”と発音するのだろう。

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by kurarc | 2019-02-13 21:22 | rivetage

高田世界館

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高田への旅の続きを書く。高田へ行った目的の一つは、高田世界館という日本で最古級の映画館を訪れることであった。以前、このブログでこの映画館を舞台とした映画『シグナル 月曜日のルカ』と言う映画について書いた。

最近、新しい映画館が数多く建設されているが、その中で、居心地のよい映画館は残念ながら少ない。いくら高級な素材でつくられていても、天井の高さが低かったり、椅子の座り心地が良くても、空間のスケールが貧弱であったりと不満が多い。

高田世界館がよかったのは、まずはそのスケール感、天井の高さ、そして、舞台に向かって下る傾斜角度の適切な勾配であった。そしてなによりも時間が経過した落ち着き、期待はしていなかったのだが、椅子の座り心地もよかったのである。

高田映画館で映画を観ながら思ったことは、この映画館は母体内空間に近いのではないか?ということである。暗闇の中で前方に光るスクリーンを経験する訳だが、それは、子供がまさに子宮から母体の外部に向かって進んでいるときの光を経験しているようではないかと思ったのである。それは、東京にある新しい映画館では感じられたことはなかったが、高田世界館はそのような肉感的な空間が感じられたのである。

母体としての映画館といえる空間であるから、居心地の良いのは当たり前のことであったのかもしれない。上映された映画『モリのいる場所』がコミカルな映画であったこともあるが、映画を見終わったとき、微笑ましい気分で映画館を後にすることができた。

高田世界館、またいつか訪ねたい。

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by kurarc | 2019-02-12 23:05 | cinema