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ウイルスと都市

新型コロナ・ウイルスの感染が拡大する状況は、建築や都市を改めて見直す貴重な時間をつくってくれている。危機やカタストロフィは、日常のなかで見えなくなってしまった現象を明らかにしてくれるようだ。

イタリアやフランスのように都市の封鎖された現場をテレビなどで見ていると、都市は当たり前のことだが、人間の活動といかに密接に結びついているのかということを考えさせられる。また、日本の子供たちはテレビゲームなどが好きで、外に出たがらないことが多いように思っていたが、いざ、こうした封鎖のような状況になりわかったが、やはり、外で遊ぶという子供ながらの習慣は生き残っていて、部屋の中にこもるということがいかに精神衛生上つらいことか、現代の子供たちも感じていることが理解できたのである。

都市とは、人間という酸素を吸収し、また、それらを排出(人間が家に帰る)していくような往復運動(循環)として捉えられるということが、リアリティをもって感じられた。そして、一個の住宅(建築)が都市の中にある、ということがどのようなことなのか、それは、やはり都市と建築が不可分であり、その往復運動によって、お互いが活気を帯びる装置であり、メカニズムであるということである。

ニュートンが生きた17世紀後半、彼もまたペストを経験し、休学中の大学を離れて、故郷ウールスソープに帰り、その生活のなかで微分積分法や万有引力の概念を発見したという。これらはのちに「創造的休暇」と呼ばれることになった。疫病は、いつの時代も時代の転換期にやってくるようだ。このウイルスの後、どのような新しい時代に変化することになるのか、また、新しい時代を構築していくのかが問われることになるだろう。

*今回の新型コロナ・ウイルスとグローバル化された世界との関連が指摘されるが、実は、14世紀ペストの時代、すでに中国人、鄭和の大航海から、また、ユーラシア大陸の交易路開拓期からグローバル化は始まっていたのである。

by kurarc | 2020-03-30 20:34 | nature(自然)

35年前の危機を救ってくれた ”トヨタと韓国ラーメン”

新型コロナウイルスという危機の収束がいまだにみえない。これらは世界的な危機だが、個人の人生においても何度か大きな危機を迎えることはある。わたしが思い出すのは、35年前、初めての世界旅行をしたときのイランとパキスタンでの国境のことである。

イランの最も東にZAHEDAN(ザーヘダーン)という街がある。そこからパキスタンの最も西、国境の街TAFTANまでバスで移動しなければならない。その距離はおよそ100km。通常はそこまでバスが運行しているが、わたしはそのバスに乗り遅れてしまい途方に暮れていた。

その時、あるパキスタン人が「トヨタを呼べ」と言うのである。わたしはなんのことかわからず立ちすくんでいると、そこにトヨタのトラックがあらわれ、これでTAFTANまで行く、というのである。小型のトラックだったが、その荷台にわたしとパキスタン人4人が乗り込み、砂漠の中をひた走った。スーツ姿のパキスタン人、ターバン姿のパキスタン人と様々な人種の人間が「トヨタ」に助けられたのである。

この時、わたしは38度を超える熱があった。しかし、こうした未開の地で、移動できないことはある意味で死を覚悟しなくてはならない。パリやロンドンで熱がでてもなんとかなるが、イランの砂漠地帯で言葉も通じず、寝込むことすらできないのである。

TAFTANになんとか到着すると、そこには韓国人3人の鉄道技師の方がいて、ちょうど韓国ラーメンをつくっていた。イランの鉄道工事の調査に向かう途中である、という会話をかわした記憶がある。わたしをみたその技師の方は、一緒に食べないかと誘ってくれ、コーヒーもご馳走になった。この時、何も食べるものがなかったから、このときのラーメンがどれほどわたしにとって貴重な食料であったのかは計り知れない。彼らはわたしの命の恩人といえるかもしれない。そのときに頂戴した名刺は今でも手元にある。

危機ということを身近に感じると、いつもその時の出来事を思い出す。

by kurarc | 2020-03-29 11:40 | saudade-memoria(記憶)

夏目漱石 『文鳥』

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昨晩、夢の中に小鳥があらわれた。わたしはその小鳥を撫でている。小鳥は嬉しそうに首を傾けて、ふと目が覚めた。

わたしの事務所のとなりにはKOTORI CAFEというカフェがあって、現在は文鳥カフェになった。以前にも書いたが、わたしが小学校1、2年の頃、自宅に文鳥が舞い込んだ。オスの文鳥で、手乗り文鳥であった。その文鳥は今までわたしが飼っていたようになつき、わたしは毎日その文鳥と遊んだ。手乗り文鳥なので、「テノ」と名付けた。

「テノ」の特技は、畳にたたずんでいるときに、畳を手で2回叩くと、2回飛び跳ねながらわたしの方に近寄ってくる。3回叩くと、3回飛び跳ね、近寄ってくる。賢い手乗り文鳥であった。「テノ」は、わたしが飼った動物のなかでは、もっとも記憶に深く刻まれた動物であった。

漱石の『夢十夜』、『永日小品』、『硝子戸の中』など、「小品」と呼ばれる一連の作品のなかに『文鳥』がある。漱石の書斎に面した縁側に、弟子のすすめで、真っ白なメスの文鳥が同居するようになり、その死まで、文鳥との対話を描いた小品である。漱石の文鳥の描写は繊細で、文鳥の仕草が手に取るようにわかる。興味深いのは、そうした仕草がかつての知り合いの美しい女性の仕草に重ねられる描写である。

漱石の文鳥はある日、あっけなく死を迎えることになり、その事実に戸惑うが、漱石はその死を家族や女中のせいにして、その処置を女中や子供達に任せてしまう。その死に対して、悲しみの描写、後悔の描写も希薄である。そうした描き方が、この小品を乾いた作品に仕上げている。じめじめした描き方にしてしまうと、平凡な小品になってしまう、そのことを避けたいという漱石のねらいがあったからなのだろう。

by kurarc | 2020-03-27 19:38 | books(書物・本)

りぶうぇる練馬ディサービスセンター(11) デッキプレート施工終了

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デッキプレート施工が終了した。このデッキプレートは構造をかねるもので、単なる型枠ではない。合成スラブといわれるもので、この上にワイヤーメッシュを敷き込み、コンクリートが打設される。

今日は斜線制限によって斜めになった3階柱の足元の溶接も行われた。今後、中間検査を受け、デッキ上にコンクリートを打設してから、外壁の下地の取り付けにはいる。

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by kurarc | 2020-03-25 21:02 | りぶうぇる練馬ディサービスセンター

ミレニアム・ブリッジの揺れ もう一つのミレニアム・バグについて

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2000年6月10日、ロンドンのミレニアム・ブリッジが一般公開された。この橋は、著名な建築家ノーマン・フォスターとオブ・アラップという世界的に著名な建築構造事務所により設計されたものである。

「光の刃」と呼ばれた橋のデザインは美しく、誰もがその橋を渡り対岸へ行きたいと思うような橋だったに違いない。しかし、この橋に思わぬ問題が発生した。横揺れの問題である。数百名のロンドン子がこの橋を渡り始めた時、S字型の振動と水平方向に揺れ始めたのである。歩行者は危険を感じ、手すりにしがみついたという。

この現象が奇妙なのは、数百人のロンドン子はランダムに歩行しているにもかかわらず、その揺れは一定の周期を帯び、増幅すらしていったということである。

その原因をつきとめるための調査では、毎秒1サイクルで揺らしたところ、同じような揺れが生じることが判明した。毎秒1サイクルとは、人間が普通に歩く周波数の半分、つまり、人間は通常1秒に2歩のペースで歩くのである。

さらに、人間は歩行する時、わずかながら足を地面に下ろし、蹴り上げる時、水平方向の力をを生じさせているのである。エンジニアはこのようなことを誰も想定していなかったし、また、揺れ始めた時、揺れをかわそうとしてどうもランダムと思われた人間の足並みは同期してしまい、その力が合わさり、大きな揺れが引き起こされることもわかってきた。(以上、『SYNC なぜ自然はシンクロしたがるのか』、スティーブン・ストロガッツ著より)

現在、問題となっている新型コロナ・ウイルスも、こうした同期現象となんらかのかたちで関連していく可能性は十分に考えられる。都市の中で、ランダムに歩行する人間であっても、どこかでその接点が重なり、「大きな揺れ」(オーバーシュート)になることを想定しておかなくてはならないだろう。

by kurarc | 2020-03-24 17:34 | books(書物・本)

アントニオ・カルロス・ジョビン Jardim abandonado(見捨てられた庭園)

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頭の中にアントニオ・カルロス・ジョビンの"Jardim abandonado"(見捨てられた庭園)という曲が響いてきた。少し前(2020年2月6日)にもこの曲について紹介したが、今の日本や世界の状況を象徴するような曲のように聴こえる。特に、ポルトガル語の"abandonado"(見捨てられた、の意)という言葉がそれを強調している。

映画『暗殺された家』のサウンドトラック用に作曲されたということだが、ジョビンの最後のCD”ANTONIO BRASILEIRO"の最後から2曲目にもこの中の曲”CHORA CORACAO(泣けよ心よ)”が収録されている。

この2曲は変奏曲のように対となっていて、”CHORA CORACAO(泣けよ心よ)”は唄として、"Jardim abandonado"(見捨てられた庭園)はオーケストラの曲のように伸びやかに作曲されている。

クラシック・ギタリストのアサド兄弟のギターでの演奏をyou tubeで聴くことができる。ジョビンは菊池成孔氏が指摘したように、”3月の水”(3.11に通じる)といい、この曲といい、未来を予言しているような曲を作曲していたのではないか、と思わせる。そんな曲である。



by kurarc | 2020-03-23 23:08 | music(音楽)

映画『ガーンジー島の読書会の秘密』

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新型コロナウイルスのこともあり、外出は控えている。映画好きには室内でいることは苦にはならない。今日は、映画『ガーンジー島の読書会の秘密』を観る。

構成に優れた映画であった。派手なことは何一つやっていないが、手も抜いていない。映画の展開がすばらしいし、飽きさせない。このようなオーソドックスな映画は大好きである。観ることが疲れないし、映画の鑑賞者のことをよく考えた映画だと思った。

ガーンジー島というフランス寄りに存在する島について初めて知った。この映画のストーリーはフィクションなのかノンフィクションなのかはわからないが、ありえそうな物語である。事実であればすばらしい物語。主演のリリー・ジェームズを観たのはこの映画が初めてだが、少し癖のある表情で演技派の女優に入るのかもしれない。演技が自然で好感がもてた。

この映画でイギリスの様々な作家、詩人の言葉が登場する。この映画は、ナチスに島が占領されたその歴史より、むしろ、言葉の大切さを教えるためのすばらしい映画であった。

by kurarc | 2020-03-22 19:52 | cinema(映画)

緑園都市 手すりを構造材にした階段

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久しぶりに緑園都市を訪れた。こちらに訪れることが目的ではなかったが、およそ30年前にこの駅前計画に携わったものとして、通り過ぎることはできなかった。

わたしが担当したビルは看板で埋め尽くされ、かなりショックを受けた。これも商業建築の宿命か。

最上階にデザインした手すりを構造材としたメンテナンス用の階段(上写真)だけがわたしを救ってくれたように思う。ここだけは、なにも手がつけられず、竣工当時のまま残っていたからである。

この計画から学ぶこと(反省すべきこと)は数多い。建築のプロポーションについて、建築と時間について、商業建築の残酷さについても考えさせられる。やはり、代官山のヒルサイドテラスのように、クライアント(オーナー)の品格が建築には必要だということだろう。

by kurarc | 2020-03-21 22:29 | 建築活動記録

カエターノ・ヴェローゾ Pecado(罪)

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天気はよいが、今日は1日、家にこもりカエターノ・ヴェローゾの『FINA  ESTAMPA (粋な男)』を聴いている。このCDは、わたしの中でラテン音楽の古典となっているようなCDである。

このCDはすばらしい曲が数多く収録されているが、特に好きなのは "Pecado(罪)" だろうか。原曲と比較するとそのアレンジの差異には驚かされる。ジャッキス・モレレンバウムによるアレンジは、ポルトガル語でいう”suave (スワブ)”(心地よい、穏やかなの意)なアレンジであり、まったく別の音楽に生まれ変わっている。古典となっているようなタンゴの名曲を20世紀後半の音楽に生まれ変わらせているのである。

タンゴとは、クーバ(キューバ)から伝えられたダンサ・アバネラ(ダンサ・ハバネラ)、スペイン経由のタンゴ・エスパニョール、ヨーロッパからのポルカの流行がアルゼンチンで混血し、ボカ地域で生まれた音楽であるが、この"Pecado(罪)" は、さらにブラジルへと移入され、ボサノヴァのフィルターを通したモダンなタンゴに変化したような曲である。

わたしはまだ未見であるが、この『FINA  ESTAMPA (粋な男)』のライブDVDが発売されているし、ライブ盤CDも発売されている。このCDは、カエターノのスペイン語圏音楽への敬意を表現したものであり、より洗練された音楽として完成されているように思う。もしかしたら、ブラジル以外のスペイン語圏中南米諸国の人々は、本来はもっと泥臭い音楽なのだが、と思う人もいるかもしれない。わたしにはカエターノのフィルターを通したスペイン語圏音楽によって、ブラジル音楽以外の中南米音楽に興味を持つことができた記念すべきCDである。

*カエターノ・ヴェローゾ "Pecado(罪)" は、you tubeでライブ音源を聴くことができる。ジャッキスのチェロのアレンジが美しい。



by kurarc | 2020-03-20 14:54 | music(音楽)

薔薇との再会

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シェイクスピアと薔薇の花(芳香)が密接に関係していることは、先日のブログでふれたが、仕事の帰り、たまたま立ち寄った古書店で『シェイクスピアに出会う旅』(熊井明子著)という本を見つけた。

驚いたことに、この本も第1部でシェイクスピアと香りとの関連が詳しく描かれていた。熊井明子さんは、映画監督、熊井啓氏の奥様である。シェイクスピアに造詣が深く、シェイクスピアを原書で味わうほどの力の入れようで、彼の香りに対する執着を発見したようである。それはもちろんシェイクスピアの個人的な執着というだけでなく、16世紀後半からのエリザベス一世朝時代の王侯貴族から庶民に至る習慣が影響していた。

薔薇の花は、わたしもなぜか記憶の中に深く刻まれている。それが、母の実家の庭に咲いていた薔薇のことなのか、叔母の庭でのことなのか、また、近くにある神代植物公園のバラ園での記憶なのか、あるいは、映画『テス』のなかのシーンの記憶なのかわからない。以前、このブログで庭をもったら薔薇を育てたい、とも書いた。

子供にとって薔薇には鋭い棘があることが花だけでなく記憶に刻まれやすいのだろうし、その香りも忘れがたい。薔薇の香りを嗅ぐと、遠い子供の頃の時間へ遡ってくような不思議な感覚を味わうのである。わたしは自分の庭をもたないが、今年から、ベランダで薔薇の栽培に挑戦してみようかと思いはじめている。

by kurarc | 2020-03-19 20:24 | books(書物・本)