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市川崑監督 映画『雪之丞変化』

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素晴らしい映画に出会った。市川崑監督の『雪之丞変化』である。

市川崑監督というと、わたしの世代は金田一耕助シリーズ映画というイメージであったが、市川監督の特に1960年前後の文芸作品に名作が多いことが今になって気がついたのである。そのきっかけは、泉鏡花原作の『日本橋』を観たことであった。この映画のクオリティーの高さに驚き、次に観たのが『雪之丞変化』であった。

長谷川一夫の一人二役。親の仇をとるために剣術を身につけた男であり、一方、女形の看板役者という二面性をもつ役。その脇をかためるのは、山本富士子、若尾文子、市川雷蔵、勝新太郎他。それぞれ個性的な配役を演じきっている。

映画の面白さをこれでもか、と味あわせてくれる映画である。金田一耕助シリーズでもそうであったが、市川は映画のエンターテイメント性をどのような種類の映画でも忘れることはないようだ。また、映画音楽にも驚いたのだが、こうした時代劇にジャズを取り入れ、あの『死刑台のエレベーター』のようなトランペット音が響く。名作であり、傑作であった。

by kurarc | 2020-04-30 22:48 | cinema(映画)

武家屋敷の中の果樹園 背戸という空間

島村昇著『金沢の家並 近代文学にみる原風景』の中に、当時の武家屋敷の庭の使い方が詳しく記述されている。武士の社会は階級社会であったことから、その屋敷の規模も身分により規定されていた。

八家と呼ばれる家老八家クラスから、足軽までそれぞれ規模は大小あるが、興味深いのはその屋敷に付属していた庭の使われ方である。武家住宅の庭は大きく4つのタイプに分類される

1:玄関前の前庭
2:台所前の勝手(小背戸)
3:座敷に面する観賞用の庭園
4:宅地背後に広がる背戸(果樹、野菜の栽培用)

このなかで、背戸(せど)といわれる裏庭に注目したい。もともと農民から分化した武士という階級は、身分の低いものほど農民時代の暮らしを引きずっており、住宅の中に、自給自足できるような果樹園や野菜畑として活用した庭をもっていたのである。現在のように庭をほとんどもたない住宅が普及するようになった都市生活者たちの住宅とはそのあたりがまったく異なる。

明治維新により武士という階級が廃止された以後も、そうした果樹園や畑は残り、収穫された果物や野菜を売っていたということである。島村氏によれば、果樹として、アンズ、スモモ(ハダンキョウ)、ビワ、スイミツトウ、ナシなどが植えられ、開花期には庭は一面、花で覆われた花屋敷になったと想像されるという。

それだけでなく、前庭に植えられた樹木もあるのだから、現在の住宅事情とは相当異なり、豊かな環境の中で生活していたことになる。

泉鏡花や室生犀星、徳田秋声らの金沢を舞台とした小説は、そうした江戸の名残のある金沢の建築や庭園、街や街路の様子が繊細に描写されている。つまり、こうした金沢の建築、都市の空間構成を思い描くことなしに、彼らの小説は理解できないということになる。



by kurarc | 2020-04-29 11:15 | 金沢-Kanazawa

大航海時代の捉え直し

*大航海時代の変遷について(『鄭和の南海第遠征 永楽帝の世界秩序再編』(宮崎正勝著、中公新書より)

第1次大航海時代:ダウ船によるペルシア湾とアフリカ東岸、インド、東南アジア、中国を結びつけた時代

第2次大航海時代:中国沿海地域の住民がジャンクを用いて東南アジア、インド、ペルシア湾まで航海するようになったダウ交易圏とジャンク交易圏が共存するようになった時代>>>鄭和の南海遠征

第3次大航海時代:ヨーロッパが大西洋にネットワークを広げ、ヨーロッパ諸港市をセンターとしてアジア海域とも結びつくようになった時代

第4次大航海時代:蒸気船が世界の海を高速で結びつくようになった時代

大航海時代というときに、第3次大航海時代が強調され、それ以前の第1次、第2次大航海時代が世界史の中に適切なかたちで組み込まれていない。

by kurarc | 2020-04-27 21:27 | fragment(断章・断片)

『金沢の家並 近代文学にみる原風景』(島村昇著)

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相変わらず金沢の建築、都市についての探求を続けている。島村昇さんの著書『京の町家』、『金沢の町家』は持っていたが、『金沢の家並 近代文学にみる原風景』は持っていず、古本を買い求めた。こちらも、前の二著作同様、名著である。

金沢にゆかりのある泉鏡花、室生犀星、徳田秋声の作品の中から、建築や都市に関連する記述を抜き出し、その文章を比較、参照しながら金沢の建築や都市を解説していくというスタイルの著書であり、建築、都市を学びながら文学を学び、反対に文学を学びながら建築、都市を考えるというそれぞれの連関を明らかにしている。

なにより、その文章が建築史家らしく具体的で丁寧であり、金沢というひとつの街をテキストにし、近世から近代にかけた日本の都市+建築史としても読解できるようになっている。前田愛さんの著作『都市空間のなかの文学』のように記号論的な分析ではなく、あくまで歴史書として記述されている点がよい。

やはり、金沢という都市は、読解されるべきテクストであり、京都ほど都市が巨大ではないだけに、身体的につかみやすく、近世以降の日本の都市、特に城下町の推移を考えるときに、その最も学びやすい場を提供してくれているといってよさそうである。

新型コロナウイルスが収束するのを待ち、今年はまずは金沢に出かけて、その建築、都市の構造を学びたいと思っている。


by kurarc | 2020-04-26 22:56 | 金沢-Kanazawa

五木寛之と金沢

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五木寛之さんが金沢にゆかりのある作家だと思い出し、彼の金沢関連の著作(古本)を買い求めた。そのなかに『五木寛之の金沢さんぽ』という著書がある。

40 年以上まえに書いた文章から現代までの文章を集めた著書。若い頃金沢に住むようになったのは、いわゆる引きこもりに近い状況だったということだが、五木さんが、民俗学のフィールドの著書を著すことになるのも、もちろん、九州生まれということはあるが、金沢での生活が大きく影響されていると感じた。

泉鏡花の影響や、白山信仰、北前船による文化の広がりなど、金沢周辺は民俗学の宝庫である。わたしも瞽女の文化に興味をもち、最近、上越上田を訪ねるなど裏日本の文化全般に興味をもつようになったが、それはわたしの祖父の生まれが飛騨高山であることに影響されているのかもしれない。遠い親戚はあの合掌造りで名高い白川郷の出身であると聞いている。山一つ向こうは石川県や富山県であり、このあたりの文化を身近に感じられるのかもしれない。

五木さんは金沢住まいの頃、本屋に立ち寄り、喫茶店に入っては本を読むような習慣であったようで、いまではなくなってしまった喫茶店の名前をこの著書であげている。少し前にこのブログで書いた予備校時代の金沢出身の学友にメモしてもらった喫茶店のリストのなかに「ローレンス」(下写真、HP「 おいしい金沢」より借用)という名前があったが、五木さんの著書のなかにも出てきて、この喫茶店はまだ健在であることを知った。

そうした喫茶店で五木さんはヴィラ=ローボスのブラジル風バッハをリクエストしたといった文章があり驚いた。五木さんもこうした曲を聴くのかという思いと、スペイン戦争に関連した小説なども書いていることもあり、イベリア半島の文化に詳しいようだし、中南米文化についても興味をもたれていることもわかった。

『五木寛之の金沢さんぽ』という著書は金沢へのよきガイドでありながら、五木さんの何気ない生活スタイルを教えてくれる。五木流エッセイであり、気軽に読めるのがよい。

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by kurarc | 2020-04-23 21:37 | 金沢-Kanazawa

都市のなかで「座る」ことの意味

新型コロナウイルスの影響で都市の中から椅子が排除されている。都市のなかで「座る」という行為ができなくなっているのである。カフェやレストランの閉鎖、マクドナルドのテイクアウトのみの対応やビルの踊り場にあった椅子の撤去などがあちこちの都市で拡大している。都市へ出ることを控えなければならないが、そうした状況でも一服したくなることはある。それができないのである。

カフェとはコーヒーを楽しむスペースであるということが基本だが、その前に「座るという行為」を行うところである。都市のなかで人は遊歩だけで時間をつぶすことはできない。カフェに入り、「椅子に座り」本を読む、レストランや食堂で「座って」食事をするなど、都市に出るということは、家の外部に出て、なんらかの時間を過ごすために「座る」ことなのである。

都市の発生と「座ること」の成立はパラレルであるのかもしれない。つまり、椅子が普及しはじめたことが都市をつくったのかもしれない。このような考えは、こうした状況に遭遇しなければ考えつかなかっただろう。

それにしても、都市で生活するものにとって、椅子に座るということの重要性について改めて考えてみたくなった。

by kurarc | 2020-04-22 19:40 | design(デザイン)

りぶうぇる練馬ディサービスセンター(14) コンクリート打設後

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りぶうぇる練馬ディサービスセンターの2Fコンクリート打設後の状況である。建設現場の閉鎖など厳しい状況が続いているが、我々のような小さい現場は密になって仕事をするような状態ではないため、仕事は続けることができる。しかし、コロナウイルスの影響は少しづくつ侵食してきて、現場の作業に遅れがではじめている。

今後も作業を慎重に進めて、無事に竣工を迎えられるよう努力するしかない。

by kurarc | 2020-04-22 08:07 | りぶうぇる練馬ディサービスセンター

ジョビン " Jardim abandonado " (見捨てられた庭園)の採譜

アントニオ・カルロス・ジョビンの曲" Jardim abandonado "(見捨てられた庭園)のサビの部分のメロディーが好きで、素人なりに採譜を試みた。専門家であれば、採譜するほどのものではないだろう。採譜し、楽譜に書き表してみると、このメロディーがこれ以上シンプルにできそうもないくらいシンプルであることがわかった。

トランペットでの採譜のため、ピアノとは異なるが、全体はハ短調の曲であり、サビの部分は、イオニアンスケール、エオリアンスケール、フリジアンスケールの下行のみで成り立っている。トランペット上の音では、ミ、ド、ソで終止しており、すべてトニック音による終止である。

それぞれのメロディーは、5音から構成されているだけ。5音の下行であり、特殊なテンション・ノートなども使用されていない。これだけシンプルであるから、美しいし、記憶に残るようなメロディーになるのだろう。映画音楽をつくる上で大切なことかもしれない。

by kurarc | 2020-04-20 19:19 | music(音楽)

Jose Zanine Caldas(ジョゼ・ザニーニ・カルダス)のデザイン

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アントニオ・カルロス・ジョビンの曲の中に「Arquitectura de Morar」(アルキテクトゥーラ・ヂ・モラール)と名付けられた曲がある。中原仁さんはこれを「住処の建築」と訳されているが、この曲はブラジルの建築家でありデザイナーであったJose Zanine Caldasのドキュメンタリー映画のためにジョビンが作曲したものだという。このことを、伊藤ゴローさんのCD『ARCHITECT JOBIN』のライナーノーツで知った。

わたしもこの建築家+デザイナーのことは知らなかったが、インターネット上で検索すると、彼の仕事の数々を閲覧することができ、非常に興味をもった。ブラジルにおけるモダニズムを体現したデザイナーであることがよくわかる。日本でもよく知られ、ブラジルで著名な建築家であるオスカー・ニーマイヤーなどとも仕事をしているという。

こうした情報はなかなかメディアなどでは手に入りにくい。日本の雑誌でもこのあたりのデザイナーまで特集してはいないと思われる。われわれ専門家からすると、こうしたデザイナーを発見できたことは、メディアだけの情報に流されてはいけないことに気づかされる。なにより、ブラジルのデザイナーに興味をもっていれば発見できるデザイナーだと思うが、ついそうした興味を忘れ、情報に流されてしまいがちである。

どのような分野でもそうだが、自分の興味に正直に生きることが大切なのだ。

*上写真:Yチェア(The invisible collection HPより借用)

*ザニーニのデザインについては下記URL参照のこと。
https://www.r-and-company.com/designers/jose-zanine/

by kurarc | 2020-04-19 10:30 | Brazil(ブラジル)

" reshape" への道

『サピエンス全史』や『ホモ・デウス』の著者であるユヴァル・ノア・ハラリ氏のインタビュー番組を見ていて、その英語をすべて理解できなかったが、気になった言葉が ” reshape ”という英単語であった。

未曾有の危機に突入した現在、最も深刻なのは、生活の基盤の瓦解であろう。飲食店は休業を余儀なくされ、ミュージシャンたちは演奏する場を奪われる等々、生活を支えることができなくなっているのである。

こうした状態を受け、我々は生きるための新しい方策を考えなくてはならなくなることは目に見えている。そのキーワードの一つが” reshape ”なのではないか、ハラリ氏のインタビューを聞き、そう感じられた。

それでは、” reshape ”とはなにか?日本語にすれば、「つくりかえること」、「新しい形に組み替える」ことである。例えば、それを職業で考えてみよう。われわれは普通一つの職業に固執している。飲食店の経営者が困るのは、その一つ職業で勝負しているからである。一つの道を歩いて行き、その道が分断された状態、閉鎖された状態が今日の状況であろう。

それでは、仮に、同時に複数の道を歩くことを想像してみてはどうか?一つの道がだめであれば、もう一方の道から打開策を探っていく。端的にいえば、リスクマネージメントなのだが、こうした困難な時代に、我々は複数の道を同時に歩くような戦略が求められているのかもしれない。それが、各仕事の分野でどのようなことになるのか、それは各分野の方々が知恵を絞って考えるしかない。

by kurarc | 2020-04-17 14:44 | 建築活動記録