モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調 K304

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『数字と科学から読む音楽』の「はじめに」は「アインシュタインとヴァイオリン」と題されていて、アインシュタインと音楽についてのエピソードが描かれている。

アインシュタインはヴァイオリンを弾く物理学者であった。アインシュタインの青春期、ドイツはビスマルクによる鉄血政策期であり、軍国主義に傾いた教育の息苦しさにアインシュタインは耐えられなかったらしい。そうした教育の中で、彼は音楽を愛するようになった。

ユダヤ系の家系では、楽器は祭器であり、その中でも特にヴァイオリンの才能があるかどうかは重要であった。アインシュタインにとってもヴァイオリンは特別な楽器であったに違いない。彼は、特にモーツァルトのソナタを愛したことが息子にあてた手紙に残されているという。

表題にあげた曲は、會孫のヴァイオリン奏者ポール・アインシュタインがドイツ物理学会で演奏された曲。アインシュタインの愛奏曲であったと伝えられているからであるという。母の死に接したモーツァルトの悲しみを表現した名曲である。

前回、日本のポップスを紹介したが、こうした軽い曲を聴いた後にクラシックを聴くと音楽的に全く表現方法が異なるから、それだけ音楽の意図が明確に感じられ、それぞれの音楽の個性、差異がはっきりする。ポップスとクラシックを交互に聴くことは各々の音楽の理解の助けになる気がする。

by kurarc | 2020-06-29 21:32 | music(音楽)

中田ヤスタカ・ウイルス

映画『ちはやふる』に提供された中田ヤスタカさんの曲から興味を持ち、主に、”perfume”というユニットのCDを通じて、彼の曲を聴くようになった。毎日のように繰り返し聴くことになり、中田ヤスタカ・ウイルスに感染したような状況になってきた。

EDM、あるはポスト・EDM、最近ではフューチャー・ベースといった影響を指摘されている彼のポップな楽曲は、非常に新鮮で、様々な音楽ジャンルの人間によってその魅力が語られている。彼の曲は、実は若い世代だけでなく、広範な世代に訴えかける力をもっているように思う。

わたしが彼の曲を一通り聴いて、特に興味をもつのは、例えば『GAME』というCDのなかでは、”Baby cruising love"や”シークレットシークレット”といったメロディアスな曲である。そのメロディーは非常にシンプルで特殊なテンションの効いた音を使用している訳ではない。驚くのは、彼は作詞も行なっていることである。その作詞力も優れていて、作詞内容がピュアであり、透明感があることに特徴がある。

彼の曲に注目するのはもう一つある。トランペットの練習曲をいつも探しているのだが、通常、練習曲は、H.L.Clarkeのテクニカルスタディーズなどの無味乾燥な指のトレーニングが主なのだが、どうも続かない。それならば、ポップスやボサノヴァなど自分の興味ある楽曲から様々なメロディーを集めて練習した方がやりがいがある。中田氏の曲もそのように利用できそうだ、ということである。

以後は、中田氏の楽曲のコード進行をはじめとしたアナライズをしたいと思っている。彼の楽曲が音楽理論上、どのような特徴があるのか見極めたいからである。

by kurarc | 2020-06-28 10:30 | music(音楽)

『ポルトガル文法総まとめ』 市之瀬敦著

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つい最近まで、日本において出版されるポルトガル語関連の書籍は、ブラジル・ポルトガル語が主流であった。辞書も当初は同様で、わたしがポルトガル語を学び始めた1995年には小辞典しか存在しなかった。1996年に初めて白水社から中辞典(現代ポルトガル語辞典)が発行され、ポルトガル語とブラジル・ポルトガル語が一冊の中にカバーされた。幸運にも、わたしはこの辞書を持参してポルトガルへ行き、生活することができたのである。

文法書においても、ブラジル・ポルトガル語の文法書が主流であったが、2020年1月に出版された本書は、ポルトガル語とブラジル・ポルトガル語の文法事項が並列して解説された初めての文法書といえるものである。小型で携帯にも便利である。発音と表記に関して、最後の章にまとめられていることからもわかるように、この文法書はポルトガル語がすでに発音できる中級者レベルのものを対象としていると思われる。初級者には少し難しいかもしれない。

また、パラパラと全体を眺めただけなので、詳しくは語れないが、効率よくまとめられている印象であり、ポルトガル語とブラジル・ポルトガル語の違いについて簡潔にまとめられ、使い勝手の良い文法書だと思われる。できれば、文法書内の例文(ポルトガル発音とブラジル発音)を録音したCDが欲しかったが、CDは残念ながら付属していない。

市之瀬さんは、本書以外にもポルトガル語関連の書籍を数多く出版されている。ポルトガル語を学びたい場合、彼の書籍を学習することは必須であろう。

by kurarc | 2020-06-24 21:08 | Portugal(ポルトガル)

笑うネズミ

私鉄やメトロにおいてあるフリーペーパーは必ずといってよいほど手に取ることにしている。いつもためになる内容とは限らないが、偶然に手に取るものでありながら、偶然とは思えない出会いもあるからである。

現在、『SALAS』の最後に連載されている佐治晴夫さん(理論物理学者)のコラム欄から、宇宙についての本を手に取るきっかけをつかんだし、その内容にも魅了された。今日、手に取った『メトロミニッツ』には、「笑い」に関する特集が組まれていて、ネズミ(ラット)やチンパンジーも笑う、ということが特集されていた。ラットの笑いは、ラットが遊ぶときに発する超音波が笑いではないかと考えられているという。

人の笑いとチンパンジーの笑いの違いは、人は大勢で笑いを共有できるが、チンパンジーはあくまで2頭どうしでの遊び笑いだということ、外界のモノやコトに関心を寄せて笑うことはないということ。チンパンジーは大人になると集団内での社会的行動に忙しくなり、笑わなくなるが、人は大人になっても相変わらず笑っていること。

また、笑いには大声で笑う「laugh」と微笑みの「smile」の2種類があるが、「smail」の起源は、「グリマス」と言われていて、強い相手に恐怖や服従を示す表情であるという。人の場合、上下関係に関わらず敵意がないことや、親愛の情を示す表情に変化したということらしい。

笑いは人だけのものではなかったのだ。フリーペーパーからの情報もばかにならない。

by kurarc | 2020-06-23 20:35 | nature(自然)

箱根と蛍

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このところ、毎年6月中旬に幼なじみと日帰りで箱根に蛍を見学に行っている。昨晩、東京を4時に出発し、ドライブインなどで休憩をはさみ、午後7時30分頃から「蛍の光」を楽しんだ。

場所はどこかは教えられないが、通常、2箇所に行き、観察する。今年はコロナの影響もあり、他県への移動が解除されたことを確認してから行くことになった。ちょうど気温も下がり、螢の観察には適した条件が整った。某場所の橋の上から、沢沿いに浮遊するような蛍の光を今年は数多く見ることができ、参加者は大喜びであった。

もう一箇所へたどり着くと、すでに多くの観察者が真っ暗闇の中、蛍の観察に訪れていて、その場所は退散する。昨年は誰一人いなかったのだが・・・

蛍の観察へ行く前に、トイレ休憩として、小田急箱根ハイランドホテル(上写真)に立ち寄る。こちらに入ったのは初めてだが、芝生の斜面沿いに立地されたホテルは開放的で過ごしやすそうな感じの良いホテルであった。芝生のある中庭へは誰でも入ることができるようになっていて、散策できる。ホテル内のショップで箱根寄木細工の箸を購入した。

箱根は久しぶりであったが、空気、緑が清々しく、美しい。ひと月に一度くらい訪れたい場所である。

by kurarc | 2020-06-21 09:37 | nature(自然)

『ペスト大流行 ーヨーロッパ中世の崩壊ー』村上陽一郎著

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村上陽一郎著、『ペスト大流行 ーヨーロッパ中世の崩壊ー』はなかなか入手が困難な新書であったが、コロナが少し落ち着いてきたせいもあり、書店に積み上げられはじめた。以前から、読みたいと思っていたので、一気に読んでしまう。

現在のコロナウイルスとペストは異なる疫病ではあるが、疫病が流行したのち、人はどのような行動をとるのか、あるいは新しい生活様式への移行や社会体制の崩壊など共通することが多いことがこの著書を通じてよくわかった。

今回、パンデミック(pandemic)という言葉がしばしば報道されたが、これはすでにペストが流行した6世紀にもパンデミックと呼べるような疫病の広がり方をしていたということである。パンデミックという言葉は、エピデミック(epidemic)という言葉から派生したと考えられているということで、デモクラシーの語源である「デモスdemos=民衆の意」(ギリシア語)に基づいていて、「人々のあいだに広く行き渡る」という意味とのことである。

ペストが流行した時代、そもそも病が感染するという概念がなかった、希薄であったということもあり、病に様々な非科学的解釈が行われたという。病因を平衡状態の崩れ、すなわち栄養のせいだと判断したり、大気の腐敗、天文学(占星術)的な原因、気象異変などに求めたという。興味深いのは、占星術をキリスト教は中世の時代から非科学的なものとして排斥し続けていたという事実である。しかし、排斥しようとする裏には、民間のなかで根強く占星術がはびこっていたということの証しであったということらしい。

そして、ポストペストの時代、それは中世の崩壊と来るべき資本主義へ続いていくような社会体制の変革が行われたということである。封建制が崩れ、領主は土地を農民に貸す、あるいは譲り渡すような動き、賃金労働者の発生、相続者を失った貴族たちは、その財産が庶民の手に渡るといった動きのなかから、封建的身分制度も解体されていくことになる。

以上のようなペスト時代の変化は、現在、労働環境をオフィスでの集中労働から、テレワークへ変化させようとするような動きとどこか通じるものがあるが、わたしは日本において、巨大噴火というリスクがある以上、テレワークもまた多くのリスクを抱えこむと思っている。やはり、求めるべきはバランスであり、多方向性である。一つの道が塞がれても、別のいくつかの道から打開できる余裕、備えが必要であろう。

by kurarc | 2020-06-17 20:59 | books(書物・本)

映画『シェイクスピアの庭』

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コロナの影響でずっとお預けをくっていた映画をやっと観ることができた。映画『シェイクスピアの庭』(原題"ALL IS TRUE")は、シェイクスピアが断筆し、故郷のストラットフォード・アポン・エイヴォンに帰ってからその死までを綴った映画である。

映画としての出来は完璧といってよく、遠景から近景にいたるカメラアングル、シナリオから音楽に至るまですべてが調和している映画であった。この映画では特に、11歳で亡くなったシェイクスピアの息子ハムネットの死の謎についてがシナリオにおいて重要な要素になっている。日本語のタイトルである『シェイクスピアの庭』に含まれる「庭」への描写は意外と希薄であったので、このタイトルが適切であったのかどうかは疑わしい。

この映画では『ソネット集』でシェイクスピアが美青年のモデルとして詠ったサウサンプトン伯爵も登場する。さすがに、ダーク・レディー(黒い女)は登場しなかったが、そのサウサンプトン伯爵との会話はこの映画のちょうど中間において緊張感を醸し出していた。

衝撃的なのは、息子ハムネットの死因である。この映画では思いがけない要因として描かれている。この要因が事実かどうかはわからないが、もし、これが事実だとしたらシェイクスピアは相当ショックであったに違いない。主演で監督も務めたケネス・ブラナーは、シェイクスピアの研究者といってもよい人だけに、もしかしたら真実に近いのかもしれない。

原題の”ALL IS TRUE”とは、『ヘンリー八世』の発表当時のタイトルであるという。手短に言えば、真実はひとつではない、という意味であり、それぞれ個々に真実はあり、否定しようもないということを意味するようだ。この映画では、シェイクスピアと家族、そしてシェイクスピアを取り巻くすべての真実の衝突を描いた映画と言ってよいだろう。

by kurarc | 2020-06-14 15:01 | cinema(映画)

SDGsについて

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書店にSDGsに関する書籍が数多く並ぶようになった。

SDGsとは、Sustainable Development Goals の略称であり、エスディージズと読む。通常、「持続可能な開発目標」と訳されている。最後に「s」がついているのは、目標にすべき17の項目があるからである。(上記、国連HPより借用)

今後、様々な企業では、SDGsの項目の中で、どこをターゲットとして企業を成長させていくのか、その戦略が求められていくようになるし、すでに多くの企業が実行にうつしている。企業の社会的責任が問われるのだが、持続可能性をターゲットにすることは、企業にマイナスにはならないということが常識になっている。

そもそもSDGsは、2015年に国連総会で採択されたアジェンダである。まずは、その期限が2030年と定められており、世界中の企業の共通目標になるものといってもよい。17の項目は、項目ごとにターゲットがさだめられており、全部で169のターゲットがある。

あのスウェーデンの少女グレタ・トゥーンベリさんが出現したのもこうした国連の流れのなかでのことである。彼女の出現は必然的であったのである。今後、特に大企業は、17の項目を無視できなくなるだろう。「宇宙船地球号」の一員としてなにができるのか、各企業は模索し、新たな事業を開拓していかなくてはならない。持続可能性という倫理性に縛られるわけだが、そのしがらみを楽しく乗り越えていく方策を考えなければならない。それは、人間として当然の営みと言えるが、一方、それらを強制されることは、どこかで歪みがでることも予想される。

わたしのようにたった一人で企業を営んでいるものはどうするのか?わたしのような立場では、なるべく少数の人間同志で組織を連携し、編成してSDGsを考えることが最も適していると思っている。大きな企業はつくりたくない。小さな企業が協力し合う方向性をさぐりたいと思っている。

by kurarc | 2020-06-09 21:19 | 建築活動記録

『池澤夏樹 ロング・インタビュー 沖にむかって泳ぐ』池澤夏樹、新井敏記著

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作家の池澤夏樹さんの1990年代中盤までの活動と小説の方法について、新井敏記さんのインタビューとそれに回答する池澤夏樹さんという形式を編集した書物である。本の最後に池澤夏樹さんによる自著の解説や、この本の索引もあり、池澤さんの活動の理解の助けになる。

わたしは小説を読むことが苦手なので、池澤さんの小説もあまり読んではいない。むしろ、映画評論や沖縄、フランスでの生活を描いたエッセイのようなものを中心に読んでいる。本書は、そうした内容に対する記述も含まれるが、結論から言えば、ガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』とそれに対峙するようなかたちで生み出された池澤さんの小説『マシアス・ギリの失脚』についての関係についてが中心となっている。もちろん、多くの池澤さん好みの小説の紹介もあり、彼がどのようなスタンスで小説に取り組まれているのか、明確に語られている。

池澤さんにはなにか縁があるような気がして、ずっと注目してきた。池澤さんが沖縄に建設した住宅は、わたしが沖縄で働いた建築事務所による設計であり、わたしも昨年、外部より見学させていただいた。それよりはるか前だが、アンゲロプロスの映画のシナリオの翻訳者として注目していた。

この本には、漱石の小説に描かれたような個人という時代の苦難やその出現によって捨てさられた共同体という社会組織などをどのようにとらえるのか、という根源的な社会の捉え方から池澤さんの小説のコンセプトが考えらえていること、タイトルにあるように、私小説という従来の小説世界から、「世界」という「沖にむかう」ための方法論など、21世紀以降の小説の進むべき道について示唆してくれている。驚いたのは、現在新型コロナウイルスにより疲弊している社会のような状況を、1990年代の時点で言及されていることである。一流の小説家とは、予言者でもあるのだろう。

わたしが最も関心をもったのは、現在疫病の流行によって都市市民が共同体的組織をまた求め始めていると思われるが、個人と個人の集団として都市は成立していることに変わりはない。その様態が今後、どのように変容していくのか(あるいは変容しないのか)考えるきっかけをこの本がつくってくれそうだ、ということである。

by kurarc | 2020-06-07 14:04 | books(書物・本)

りぶうぇる練馬ティサービスセンター(18) 耐火被覆完了

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外壁材であるALC版と内部すべての耐火被覆が完了した。

今後は、防水工事(下地も含む)、内部の電気配線、外壁の塗装へと移っていく。

この程度の建築規模であると、作業が密になることはないので、助かっている。

by kurarc | 2020-06-05 07:28 | りぶうぇる練馬ディサービスセンター