建築家 ルシアン・クロール

建築家のルシアン・クロール氏(1927ー)は、現在どのような仕事をしているのだろう、と最近頭に閃いた。インターネットでたまたま彼の名が登場して気になり始めたのである。『サスティナブルな未来をデザインする知恵』(服部圭郎著)の中に、彼のインタービューが掲載されているということで、早速手に取った。

実は、28年ほど前、大学院生だったわたしは、ルシアン・クロール御夫妻を他の大学院生らと共に東京を案内したことがある。研究室のF先生からの「命令」で、ルシアン・クロールさんが東京のスラム街に興味を持っているようだから、山谷の街に案内するようにとのことであった。わたしは前日に英文を準備して、クロールさんに拙い英語で案内をするはめになったのである。知的で、冷静沈着な物腰のクロールさんと、明るい奥様が対照的だったのが印象的であった。案内の最後の集合場所だったホテルに着いた時に、クロールさんはコーヒーでなく、オレンジジュースを頼んだのも印象に残っている。

インタビュー記事を読むと、その過激な言動には驚いてしまう。昨今の雑誌を賑わすような建築に異議を唱えているからである。彼は、「コンセプト」や「方法論」といった「普通の」建築家たちが好んで使う言葉に嫌悪を示す。(つまり、それは、現在の日本の建築学科の大学教育そのものを批判していることになる)それが、まさに彼の「コンセプト」なのだが、建築家たちが一方的にデザインをして建築を建設するのではなく、住民参加を原則として、建築環境を一つ一つつくりあげていくという方法を模索している。

わたしは、クロールさんにお会いした時、既にクロールさんのルーバン・カトリック大学(ベルギー)の仕事を見学していたので、生意気にもクロールさんに「あなたの仕事は難解で理解できなかった」といったような会話をした記憶があるが、その時のクロールさんの「なぜだ?」といった表情が今でも忘れられない。

わたしも建築をつくる時にはなるべくクライアントの方々のやりたいことに耳を傾けるようにしている。それを手掛かりとして、わたしとの応答の中から形を見出していく。クロールさんのようにラディカルにはできないが、一つ一つ異なる建築をつくっている背景には、彼との出会いが大きいのかもしれない。

ルシアン・クロールさんは、今年で90歳になる。きっと、今でも元気に建築に取り組んでいることだろう。

*このブログを書いた後、クロールさんは既に逝去していることを知った。息子さんがあとを継いでいるとのこと。

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# by kurarc | 2017-04-01 20:12 | architects(建築家たち)

ギター音楽へ

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ラルフ・タウナーやアサド兄弟のギター音楽を久しぶりに聴いた。ラルフ・タウナーの方は『Time Line』、アサド兄弟の方は映画音楽『夏の庭』である。両方とも、楽譜を持っていることもあり、楽譜を見ながら鑑賞する。

この二人(正確には三人)のギタリストは特に好きで、タウナーのこのCDについては、11年前のブログで取り上げた。アサド兄弟についても、何回か書いている。タウナーの方はすべての曲が採譜されている譜面ではないので、採譜されているものを中心に聴く。また、自分でも演奏できそうなものを特に重点的に聴いてみる。

彼らの音楽は繊細で、ラジオから日々流れてくるような音楽とは一線を画しているが、今回、タウナーの演奏を聴いてみると、そのリズムの揺れの大きさに驚かされた。彼の演奏は、まったく楽譜通りのリズムで演奏しているものは皆無である。タウナーのギターは、人を大きく揺さぶる。つまり、鑑賞者は、タウナーという大きな船の上にいて、その揺れに身をまかせている感じなのである。

アサド兄弟の方は意外にも、楽譜にかなり忠実に演奏している。それでも二重奏が大半であるから、二人の息の微妙なズレがタウナーの揺れのように音楽を揺さぶることになる。

最近は、ほとんどギターを手にしていなかったが、爪も少しずつ伸ばし始めた。ギターは爪の手入れが厄介である。ただ、彼らの曲をギターで弾いたら、何か音楽の深さが少しでもつかめそうな気がするから、また一から練習してみようと思っている。
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# by kurarc | 2017-03-29 23:13 | music

ジュウシマツと芸術

鳥に関する本を渉猟している。今、注目しているのは岡ノ谷一夫さんや、小西正一さんの著作である。主に、鳥の歌、さえずりに関する研究だが、これがなかなか興味深い。

岡ノ谷さんの本の中に、興味深いエピソードが書かれていた。それは、ジュウシマツの歌についてである。小鳥のさえずりは、求愛行動がその主目的とされているが、ジュウシマツを観察していると、そうしたジュウシマツの中に、メスの前では歌わないものが出てくるというのである。そうしたジュウシマツは一人(一羽)にすると歌い出すのだという。そして、そのジュウシマツは他のジュウシマツと異なり、高度な歌を歌うのだそうだ。

岡ノ谷さんの研究室にいるそのジュウシマツは「パンダ」と名付けられて有名なのだという。岡ノ谷さんは、このジュウシマツは求愛という本来の目的から離れて、歌うことそのものを、歌うことの美しさを求め始めたジュウシマツではないか、と考えている。それは、(鳥の)芸術(音楽家)の始まりではないか?と。

鳥の歌(さえずり)を考えることから、人間の言語や歌について、芸術について思いを巡らして見ることは、鳥と人が意外と近い存在であることを気づかせてくれる。音を絵にするソナグラフというものからフーリエ解析(フーリエ変換)の具体的なイメージをつかむことができたのも役に立った。

人間はなぜ歌を歌うのか、という問いもかなり奥が深そうである。歌から言語が始まったという研究や、言語や意識の問題群が鳥と言う動物から考察できるかもしれないし、興味は尽きない。

再び言う。今、鳥がおもしろい。

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# by kurarc | 2017-03-28 18:36 | art(藝術)

事務所 打ち合わせ用テーブル脚のデザイン

事務所の打ち合わせ用テーブルの脚をデザインした。デザインというほど大袈裟なものではないが、よく現場で職人さんが作業台として利用している二枚の板(現場では12ミリ厚のラワン合板など。ここではMDF 厚9ミリ)を中心で差し込み、脚としているやり方を踏襲したものである。天板のたわみを抑えるために貫(1×3材)でつなぎ(貫はのせているだけ)、この上に8ミリ厚のOSB(800×1820ミリ、ポーランド産)をのせて天板とする。

天板をのせない時の高さは660ミリで、今後、30ミリ厚程度の天板をのせること(この場合は、貫は必要ない)があっても、高さを700ミリ以下とするように寸法を決定した。今回は8ミリ厚の天板なので、およそ670ミリの高さのテーブルとなる。

二枚の板を中心で差し込んでいるだけなので、取り外せば板になる。全て組み立て式であり、釘金物など一切使用しない。これで最大7人座ることできるテーブルとなる。

*8ミリ厚のOSBを選択したのは、片面サンダー掛けしたものが見つかったこと、ポーランド産OSBは、カナダ産などに比べると使っている木材の破片が細かく、綺麗なことがその理由である。日本のヒノキ、スギを使ったOSBもあるが、わたしにとっては高価であったので使用しなかった。

*OSBとは、構造用下地材として開発された面材のこと。

*コの字型の脚は、見付け(見えがかり)がすべて100mmに見えるようにデザインされている。
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*上写真は、某現場で見られた作業台。非常に優れたデザインである。わたしは今回こうした浮き上がるようなデザインにしなかったのは、事務所床がビニール床シートであり、集中して荷重をかけないようにしたため。集中して荷重をかけてしまうと、床にその跡が着いてしまうからである。硬い床であれば、このようなやり方をさらに発展させてデザインすることが選択できた。


# by kurarc | 2017-03-26 12:13 | design

帯状疱疹

帯状疱疹という病にかかってしまった。10日ほど前から、左片側に軽い頭痛のようなものを感じていて、偏頭痛かなと思っていたが、気がつくと左耳上にかぶれたような症状が現れ、痛がゆい感じが続いた。その後、痛みはチクチクというかなりの激痛に変化し、昨晩鏡を見ると水泡が頭にできていた。フェイスブックでたまたま大学時代の同級生が同じ病のことをアップしてくれていたおかげで、この病気のことがわかり、皮膚科へ駆けつけた。実は、4日前にも皮膚科に行って診てもらっていたが、その時には水泡がでるまでに進行していなかったのだろう。医者も病を特定することができなかった。フェイスブックもバカにならない。

インターネットでこの病のことを調べて見ると、あなどれない病のようで、手遅れになると神経をやられてしまったり、様々な後遺症に悩まされることになるらしい。わたしも今後どのようになるかわからないが、こういう時には薬に頼るしかない。このところ、仕事をしながら引越しの準備、そして引越しとかなりの体力を使ったこともあり、疲れがたまっていたのかもしれない。ただでさえ年度末は身体の疲れが噴出する頃である。気をつけなければならない。


# by kurarc | 2017-03-25 12:42